パターン化された立法技術論

※仕事帰りの電車の中で思いついたことをワーッと一気に書いたらめちゃくちゃ長くなってしまいましたが、行政官が何を考え、どういう方法で政策(法律案など)を立案しているのかを知ってもらう良い機会なので、ちょっとでも「行政官の仕事って何やねん」と思うひとは読んでみてくらはい。


以前、「大学では法解釈学を詰め込まれるが、立法政策論はほとんどと言っていいくらい教えてもらう機会がない」という話を書いたことがある。

法解釈学は、すでに存在する条文をどう読むかという問題に対する学問なので、現行法を駆使して最適解を導こうとする訴訟実務の場面では有用だが、何も条文がないところから新しい条文を作り出そうという一見クリエイティブな立法実務の場面では、現行法の限界を知る上では役に立っても、新しい条文の書き方についてはあまり役に立たない。

そこで、じゃあこういう知識が不足している中で、日本の立法政策はどのように運営されているのかという問題を改めて考えてみると、少なくとも行政法の分野は実はほとんどパターン化されていて、新奇性に乏しい法改正が行われているのが現実である、と俺は思っている。全くもってクリエイティブではないのである。

もしかしたら俺の所属してる省だけかもしれないが、この1年で3つの法案の作成に関わってきた経験からすると、いろんな省・いろんな分野の法律を調べまくったが、どれもだいたい同じような形をしていて、その背後にある思想もだいたい同じような理屈で支えられている。

違いがあるとすれば、表現が微妙に違っていたり、Aという規定があったりなかったり、条文の順番が違っていたり、くらいのもんである。(言い過ぎか笑)

もしこの仮説が正しいとすれば、「立法技術論」というタイトルで、立法政策のパターンを網羅的に書いた本を書いてしまえば、法改正で日夜こんな苦労をせずに済んでしまうのではなかろうか。

特に、資格法や業法の分野は、相当程度類型化されているので、それを例にして考えてみよう。

【例:免許証の提示義務】

こんなもん資格者なら誰でもかかってる義務だろうと思うかもしれないが、実は個別の法律をよーく観察してみると、法律上の義務があるものとないものがある。また、あっても提示する相手や場面が違っていたりする。

そこから、こういう違いがあるのはなぜなんだ、みんな好き勝手に条文作ってるのか?という話が出てくる。いやいや、ちゃんと国会で審議された上の条文だ、、きっと理屈があるはずだ。

そこで、各法の例を一つ一つつぶさに検討してみると、だんだん背後にある考え方が分かってくる。
要は何でもかんでも免許証を見せるべし!という義務をかけりゃいいってもんじゃなくて、ちゃんと必要性があって初めて法律上の義務として規定されているのだ、ということが分かるのである。

(1)宅建業法の宅建主任者の場合
① 宅建主任者は、家の売買契約をするときに、お客さんに重要な事項を説明する役割を担っている資格者。
② 悪い考えを持った業者なら、なるべくささっとお客に気づかれないうちに説明を終わらせてしまって契約にこぎつけたいと思う。特に、不動産関係の業界はそういう人が多い(んだろうな)。
③ だからあまり身分も示さずにさくっと済ませてしまいたい。
④ そこで、そういう不埒な輩に対して、「あんた業者として契約結ぶんでしょ。だったら契約を結ぼうとするときには、きちんと身分明かして、私が責任者ですということを断った上で契約の説明をしなさいよ」ということを法律で義務付ける必要がある。
⑤ こういう理屈に基づいて、「契約締結前に重要な事項の説明を行う場合は、宅建主任者としての資格証をお客に提示しなければならない」という条文が出てくるわけである。
※ なお、あくまで契約締結時だけに提示義務がかかっていて、それ以外の場合(例えば物件の紹介をしているときなど)には義務がかかっていない。そこまで義務づける必要がないからである。

(2)通訳案内士法の通訳案内士の場合
① 通訳案内士は、お金をもらって外国人相手に通訳の商売をする資格者。
② 仕事柄、日本の事情をあまり知らないひとを相手に商売する資格なので、お客さんである外国人からは「この人、本当にちゃんとした人かな?お金わたしちゃっていいのか?」という不安が出てくる。
③ だから、業務を行う前に、きちんと「わたしは知事の登録を受けた正真正銘の通訳案内士dす!」という証明をさせて、お客さんの不安を取り除く必要がある。
④ そこから初めて、「通訳案内士は、その業務を行おうとするときは、登録証を提示しなければならない」という条文が出てくる。
⑤ 逆に、ほかの場面での提示義務はかかっていない。

他にもいっぱい例はあるが、いずれにしても、その職業柄、本当に資格者証をどうしても提示しないと消費者が困るような場面があるか、という観点から義務付けをする・しないの立法上の選択がされているのである。

もちろん、その理屈は、現実のトラブル事例の集積等の実態的なデータに基づいて裏づけされているものでなければならない。

そこで翻って、今度は自分の立案対象である業種はどうだろうかと分析してみる。業務の実態をあれこれデータを取って分析してみた結果、やっぱ提示義務を課すような場面はないな、ということになれば、法律上の義務付けを措置する必要はないということになるのである。

そもそも、客から求められて免許証を提示しないような資格者は客に信用してもらえないのだから、市場に任せておけば勝手に淘汰されるはずである。

しかし、消費者が持つ情報が特に不足しているような場面においてはあえて義務付け、不測の事態を未然に防止しましょう、という考え方が成り立つ場合にあっては、ようやく法律上に条文として登場するわけである。

という風に、日本の法令を横並びで見てみると、条文にでこぼこがあることが分かるので、そこを起点になぜそういう違いが生まれているのか理由を探っていくと、立法技術をある程度パターン化して理屈づけることができる。

あとは、①こういう場合にはこういうパターンを採用されている、②なぜならこれこれの法律では、こういう事情があって、こういう考え方がされているからである、③さて、君の担当案件の場合はどうですか?というような内容が書かれた「虎の巻」さえ用意してしまえば、後進の者は自分たちが実現したい政策を法律に書き起こすときにそれを読めば条文化の労を一気に短縮することができる、というわけである。

まぁ実際に本にするとなるとかなり大変かもしれんが、こういう虎の巻が一冊あるとすごい便利である。何も読み込む必要はなく、法令作成の辞書代わりに手元に置いてもらえればいい。

そんなことやったらそれこそ官僚のモラルハザードが生じる(虎の巻=保険→新しい発想の立法政策がかえって出てこない)かもしれないが、それを上回るメリットがあるのではないか。

【メリット】

① きちんと各法律の考え方の違いを個別に掲載されているものであれば、読む人は、自分の政策対象の場合はどうなんだろうか、という比較論的な視点から分析を始めることができる。

② 現在の立法作業の過程のほとんどが、現行法令の限界を調査することに時間が割かれている実態を考えると、こういうのが一冊あれば、より現状分析、必要性の説明に時間を割くことができるし、また、現行法にはない新しいアイディアを考えるのに多くの時間を割くことができる。

③ 立法パターンが複数の選択肢として明確に提示されることで、なぜその案を選んだのかという説明を対外的にする必要が出てくる。行政の側から見れば、あれこれ案を創出しなくても、最初から複数の選択肢を同時並行的に検討作業を進めることができる。また、国民の側からすれば、行政による恣意的な条文化を防止することができる。

④ 特に、シビアな局面での立法政策は常に選択を迫られる。ある選択をした場合、なぜその選択をしたのか、なぜ他の選択をしなかったのかが問われる。例に挙げた免許証の提示義務くらいであれば問題にはならないが、社会に大きな影響を与える立法政策になればなるほど、合理的な説明が求められる。

②については、現行法の考え方を組み合わせて、現行法にはない領域を創造することができる場合がある。

【例:指定機関制度における情報公開制度】

先の建築基準法改正で新設された条文の中で、第77条の29の2(指定確認検査機関の情報公開義務)というのがある。

これは、建築主等からの求めがあった場合は、指定確認検査機関は①業務報告書、②財務諸表、③確認検査員の氏名や略歴を示した書類、④万が一の瑕疵保険措置を講じている場合はその内容を記載した書類など、消費者の選択に資する資料を提供しなければならない、という規定である。

従来の指定機関制度では、国が指定してるんだから指定機関に情報公開なんかしなくても大丈夫だ、そもそも消費者相手に商売しているというようなものではない、という考え方のもと、情報公開を義務付ける規定のある例は他には見当たらなかった。

これがネックになって今回情報公開措置を義務付けるのは困難なように思われた。

しかし、他の制度で情報公開措置があるものというと、指定機関制度の改正版である登録機関制度と、建設業法や宅建業法など、多くの業法がある。

前者は、基準に合致さえすれば行政代行事務が行えることになる制度であることから、消費者の選択をするために、財務諸表等の情報公開義務が措置されている。

一方、後者は、消費者相手に商売しているのだから、一定の情報は自主的に公開しなさいという規定が置かれている。

つまり、業務が対消費者的なものであり、市場に参入している者が相当数存在し、かつ、消費者との間で情報の非対称が生じやすいような業務であれば、指定機関であっても情報公開を義務付けることが許容される余地がある。

そこで、指定確認検査機関の現状を見ると、平成18年4月現在で126もの機関が指定されており、我が国の確認検査業務の過半を民間機関が行うようになっている。
このように、制度創設当初の想定をはるかに上回るビジネスとして発達しつつある中で、今回のような事件が発生したことを踏まえると、単なる指定機関としての性格を超えた、事業者的な性格を有している段階にきているのではないか。
そうであれば、登録機関や業法並みに情報公開を義務付けることが現行法の枠内でも措置できるのではないか。

というのが第77条の29の2を条文化するに至った際の一連のアイディアである。

なお、指定機関制度における情報公開規定は、我が国初である。
(このような規定があることが誇りとなるか、恥となるかは、のちの制度運用の歴史が証明してくれるだろう。担当者としては、少しでも建築主が負っているハンデを少なくしてあげられるのであればそれに勝ることはない。)

このように、現行法の整理がきちんとされていると、従来の枠組みではできなかったと思えるような措置でも理屈をつけて措置できるようになる場合がある。


結局、虎の巻の目的は4つ出てくる。

【目的】

① 最低限の選択肢をいくつか立案者に提示し、慎重な比較論の上に立った立案行動を促すこと。

② 過去の膨大な立法作業で培われてきた立法政策の「知」を体系的に集約すること。

③ 何がすでに考案済みの政策なのか、何が現行法ではできないと「思われている」政策なのかを立案者に知らしめること。

④ 立法実務の理論を、行政官だけに独占させず、国民に広く共有してもらうこと。

②は特に、もったいないなぁといつも思う。どんなにそのときの改正で的を得た法律の分析を行っても、その回限りで終わってしまう可能性がある。せっかく苦労して見出した考え方なら、他でも使ってもらえるように体系化の作業が必要である。

確かに、立法政策に関する資料はいくつかあるのだが、実務での「選択」には不十分である。

まず、立法政策論を扱った学術書はいくつかあるようで、目次だけしか読んでないので確たることは言えないが、立法のプロセスを全体的に概観することに力点が置かれていて、個別の立法実務の場面で役に立つ情報はほとんど載っていないだろう。

また、法制局参事官等が作成した「法令作成ワークブック」というのがあるが、これは個別の条文の「表現の仕方」のみを扱ったもので、特定の政策分野にある制度を導入する場合・しない場合の考え方までが示されたものではない。

他に、個別法の解説本の類はやまほどあって、ある程度その条文の考え方を知ることはできるが、あくまで「この条文は、こういう意味です」という現存する条文を前提にした法解釈学的説明に終始していて、「なぜこの条文が盛り込まれたのか。他の法律の例だと、こういう書き方じゃなくて別の書き方になっているが、なぜその案を選んだのか」という、作り手の視点に耐える説明にはほとんどない(たまに良心的な解説本もあるが)。

さらに、各省の担当課では法改正のたびに対法制局用の説明資料を作成しており、これが恐らく最も実務的に役に立つ資料だが、お祭り騒ぎの中で作った資料なので、あとで落ち着いて見返すと、ところどころ不十分で、実際の立案の場面での「複数案からの選択」が意識されていない。


結局、実務的に求められるパフォーマンスとは、複数の案がある中でなぜそのその選択肢がベストだと思ったのか、というその考え方を示すことである。それが、対外的に、分かりやすく、効率的に、かつスピーディーにプレゼンできなければ、実務では何の役にも立たない。

法改正のたびにゼロから他法の考え方を調べ直しているから、日本の立法実務はいつもタイトで苦しい仕事になってしまうのである。もっと時間を割くべき仕事があるはずだ。

冒頭に提示した問題意識に戻って言えば、こういう「虎の巻」のようなものを使うことで、どん詰まり感のある日本の立法政策の実際と限界を学生たちに教えこんだ上で、現行の立法政策の限界を打ち破ることのできる新しいアイディアを考えさせる授業をすることこそが、真の法学教育なんじゃないでしょうか。

そういう、鋭い現状認識と、イノベーションへの熱意を持った人材がいまの行政には絶対必要なのです。