泣き虫

俺は泣き虫だ。

何かにつけて、すぐ泣く。痛くて泣く。誰かに怒られて泣く。彼女にフラれて泣く。映画観て泣く。ドキュメンタリーを見て泣く。人前をはばからず泣く。

でも、記憶に残ってる「泣く」は、やっぱり心の底からの感動とみんなへの感謝の気持ちがドッと溢れてきたときのものだ。

高3の春、文化祭終了後の打ち上げ。執行委員会の副委員長をやっていた俺は、200人のスタッフを前にして大泣きして、ろくにスピーチもできないまま壇上を去った。その年はインフルエンザが猛威を振るった年で、冬の間にスタッフ・ミーティングもあまり行えないまま春に突入してしまうなど、例年になくスケジュール的に苦しいシーズンだったが、少ない時間での打ち合わせと準備を積み重ねながら何とか無事当日を向かえ、過去最高数の来場客に楽しんでもらうことができた。スタッフ一人ひとりが自分なりに考え、行動してきた結果の表れだ。

大学2年の冬、たった9ヶ月勤めたフィットネスクラブの仕事をやめるとき。みんなの前で泣いた。たかがバイトながら、自分なりにいろんな改善の提案をしながら必死にやってきた。店長や社員の人たちもそれを認めてくれて、みんなで試行錯誤しながらいいお店を作ろうと頑張ってきた。毎晩のように仕事あがりにみんなで飲み屋に行って深夜までバカ話もした。ここのメンバーとはいまだに交流が続いている。

今年の6月、前の課を離れるときの送別会。課長から「本当にありがとう。君がいなかったらここまで辿りつけなかった」という身に余るねぎらいのお言葉を頂いたときに今まで張り詰めていた緊張の糸が一気に解けた。未曾有の事件対応の最中で社会的にも政治的にも物凄いプレッシャーに曝されながら必死に働いてきた30人のメンバーとの共同作業を経験できて、こんなに素晴らしい職場に来れたことを本当に感謝した。一週間泊り込みのあとで一緒にタクシーに乗って帰宅したY君たちと、お互いに「お前くせーな」とか「唇がヒゲで埋まってるで」なんてくだらないこと言いながら、この難問の解決の糸口を見つけるべく頭を一緒に悩ませ続けてきた。いまだに難問は難問のまま社会に滞留してしまっているが、その過程の最も重要なシーズンに身を置けたことはたぶん一生の財産になる。

いまやってる仕事も、ようやく佳境に差し掛かってきた。ここを無事乗り切って、メンバーが解散するときも、またあんな風に泣けるんだろうか。それは今後の自分の頑張り次第にかかっている。