マネーの変化

最近ようやくPASMOを購入。何て便利なんや。

と思う反面、うすぼんやりとした不安も抱かざるを得ない。



クレジットカードの登場以来、「通貨」の概念が大きく変容し、SUICAPASMOEDYの登場でさらにその傾向に拍車がかかっている。

この点について色んな議論があると思うが、一番重要な変化は、通貨の根拠が、日常レベルにおいてすら、国家への信用から個人への信用へと変わりつつあることではないかと俺は思う。



「通貨」というと、一般的には貨幣を思い浮かべるが、その一つ前の形態は物々交換の経済社会だった。すなわち、物自体に価値を見出し、それを信用するという経済システムである。

ところが、経済活動が活発になって多様化してくると、物々交換では処理が間に合わなくなってきた。そこで、同じ共同体の中で共通の価値基準が定められた通貨を用いれば効率的な取引が可能になるという合意が形成され、貨幣経済が成立した。

貨幣にも金や銀など、貨幣自体の価値を尺度とされていた時代が長らく続いたが、近代国家の安定性と信用力が高まってくると、価値の低い金属や紙であっても国の信用力による裏づけを根拠に通貨として機能しうる社会が成立した。

これがつい最近までの我々の社会だった。



しかし、クレジットカードの登場に端を発して、電子マネーやネット決済の爆発的普及によって通貨という概念の再定義が必要になりつつある。

現在の社会では、価値の尺度は全て「円」「ドル」「ユーロ」といった単位の付された単なる数値によって測られることになる。そこには、国の信用力は単位の名称にうっすらと発現しているのみであって、信用力の源は、取引を行う人間がどれだけたくさんの「数値」を持っているかに依存することになる。

数値化された取引というのは、何も今に始まったことではなく、金融の世界では当然のことであったが、これが我々の日常生活にまで裾野を広げつつあるというのが今日の大きな変化である。

金融取引などによる資産経済に対して、我々の日常の経済を「実体経済」などと呼ぶことがあったが、その実体経済すら曖昧なものになってきているとも言えよう。


物々交換の時代から目を向けてみると、我々の経済は極端な抽象化が進行しつつあることが分かる。現代経済における信用源の変化は、今後どういう方向に向かっていくのだろうか。利便性と効率性が際限なく追求される一方で、具体的な基盤が曖昧にされたままのシステムの中に、ひとたびバグが生じるとどういう事態へ展開するのか、想像もつかない。