ノーベル賞受賞者の言

今日は東大のホームカミングデイというのがあって、卒業生の同窓会的イベントの日だった。そのイベントの企画の一つに、東大が輩出した3人のノーベル賞受賞者による対談というのがあったので、見に行ってきた。

3人とは大江健三郎江崎玲於奈小柴昌俊。今年は東大創立130周年ということで、相当気合いが入っているようだ。この3人が一同に会すことなど、延命治療技術が爆発的に進歩でもしない限り、もうこの先二度とないんじゃなかろうか。

しかし、前夜2時すぎまで銀座で部下たちとベルギービールを飲んでいたので案の定寝過ごす。雨降りしきる本郷キャンパスに着いたのは11時、残り30分だった。安田講堂はもうとっくに満席で、プロジェクター中継をしている法文25番教室もほぼ満席。

大江は沖縄ノート訴訟で忙しいから来る暇ないんじゃないかと思いきや、ちゃんと来ていた。

大江は俺らの代の卒業式のときにも祝辞を述べに来てくれた。「21世紀の未来を切り開くのは、まさに君たちのような知識人だ」と暖かいエールを送ってくれた。人の講演を聴いて感動したのはあれが始めてだった。

今日も大江は、今は亡きエドワード・サイードとの親交を引き合いに出しながら、様々な分野で活躍する知識人たちの横の連帯、相互作用が何よりも重要だと語っていた。

小柴は、スーパーカミオカンデでのニュートリノ観測実験の苦労話をしてくれた。小柴が文科省から獲得した科研費は4万円。これ以上は出ない。ちょうど同時期にアメリカでも同様の実験プロジェクトが進行していて、予算は小柴の10倍あったという。こんなものに勝てるはずがない。誰もがそう思う中で、小柴は、水槽の規模での勝負を捨て、ニュートリノの光を感知するフィルターの感度を限界まで引き上げる方に投資するしか研究で勝つ道はないと判断した。知り合いの会社の社長を長時間にわたって説得、1年かけて共同開発に成功した。それがノーベル賞につながった。

江崎は、サイエンスの分野において、アメリカがこれだけ成功しているのは、何よりも科学者たちの国際的なバックグラウンドの豊かさによるものだと語った。サイエンスの創造性は、ダイバーシティの中での相互作用によってのみ進化するという。

江崎も小柴も、東大への提言として、英語による授業をもっと増やさないとダメだと主張していた。小宮山総長も、その方向でプログラム改革を進めようとしている。

日本語の限界という話になって焦った司会者は、今後の学術発展における日本語の可能性について慌てて大江に問うた。

日本語で飯を食っている大江は平然とした表情で、「私はあらゆる言語というのは普遍的なものであり、同時に個性的であると考えている。我々小説家は、そういう言語を使いながら、人間というものの普遍性と個性を表現していく道を究めようとしている」とかわした。

30分しか聴けなかったが、行ってよかったと思う。


最近、東大は小宮山総長に変わってから、外に向けて大学を発信する試みに積極的に取り組んでいる。大学間外交も頻繁に行っているし、メディアへの露出も前総長の佐々木より遥かに多くなってきた。国立大学法人化を契機に産学連携の研究プロジェクトも増加してきている。今まで全くと言っていいほどなかった、入試受験者向けの大学案内活動なんかも京大や早慶などと一緒になって始めているようだ。

世界の主要な大学がどんどん国際的な地位を向上していっている中で、東大だけが小国・ニッポンのトップを気取っていて、気がつくと世界に取り残されてしまっているという現状に、大いなる危機感を抱いているようだ。東大はいくら日本では有名でも、世界的にははっきり言って無名である。

小宮山はしきりに「知の構造化」ということを主張していて、その一環としてサスティナビリティ学なるものを立ち上げた。知識量が20世紀の間に1000倍〜10000倍に増える中で、細分化されてしまった知識を、社会のために統合化する試みを一つでもいいから成功させてみたい、というのが彼の願いだという。面白い。

俺自身の分野に照らしていえば、ぜひとも立法政策に関して日本の政府や自治体が培ってきた知識・技術を統合化するという夢を実現してみたい。これでどれだけ役所の立法作業が楽になることだろう笑

3人の対談が終わったあと、司法試験勉強中の友達と落ち合って工学部の松本楼でランチ。やっぱし本郷は落ち着くなぁ。