第5章 当事者間交渉による問題の解決に向けて

この紛争当事者間交渉による解決の効率性という点については、実はすでに経済学的な論拠が与えられている。それが今回のテーマとして俺に与えられたいわゆる「コースの定理」というやつなのである。

何と、この定理によれば、社会的な紛争が起きているケースにおいて、当事者の主張できる権利が明確で裁判によって完全に執行できるようなものであり、かつ、交渉に係る取引コストがゼロであれば、どのような権利配分を行ったとしても、当事者間の自主的な交渉によって社会的に最も効率的な選択が行われ、紛争は合理的に解決される」というのである。

実にうそくさい話であるが、定理の提唱者であるシカゴ大学の教授、ロナルド・コースは見事な数式を使ってこの定理を証明してのけた(らしいよ、原著ちゃんと読んでないけど)。

ただし、やはりうそ臭い話なだけあって、この定理が現実社会でそのまま通用するわけはないよ、という前置きをコース自信置いている。このような定理を成立させたいのであれば人為的に成立条件を設定してやる必要がある。その条件整備とは、
①当事者に明確かつ執行可能な権利を設定してやること、
②交渉を阻害している取引費用を取り除いてやること、
の2点である。定理が成り立つという場面で政府に求められる役割とは、結局この2点しかないよ、というのがコースの主張の裏にある政策的な含意である。

では耐震改修の場面でこの条件が現状でどのくらい揃っているのだろうか。そこを明らかにしないと政府はどういう条件整備をすればいいかが分からない。

まず、権利の明確性・執行可能性だが、実にアンバランスな状況にあるといえる。耐震性の低い建築物の所有者は、既存不適格建築物制度の裏返しとして、必要ないと思えば耐震改修を行わずに建築物の現状を維持する権利というのを法律上明確に保障されている。明白で切迫した倒壊の危険性があるような場合でない限り、行政による措置命令の対象にはならないし、裁判でも十分この「権利」を主張することができる。
これに対して、周辺住民の権利はというと、実にか弱いものである。強いて言えば安全に暮らす権利だろうが、現実に隣の家の人に対して「あんたの家危ないから改修してくれよ!」などと言えるだろうか。現在の状況を見る限りとてもそういうことはいえないし、裁判紛争の中で裁判所が判例法理としてそのような権利を認めたというケースも見当たらない。
したがって、圧倒的に建築物の所有者の立場の方が強いため、外部不経済が発生していても周辺住民はとても交渉に乗ってもらえそうにもないのである。

次に取引費用はどうか。結論から言えば極めて大きい。具体的な額は算定できないが、さしあたって以下の3つを指摘できるだろう。
第一に、耐震改修の問題では、所有者対周辺住民ということで、1対多数の交渉になるため、交渉妥結までにとてつもない時間がかかる。仮にある住民との間で合意に達しても他の住民から不平が出て、白紙に戻る可能性すらある。これではいつまで経っても合意に到達できない。
第二に、そもそもどうやって交渉を進めていけばいいのかという手続きが決まっていないので、ゼロから交渉ごとを始めるにはあまりに手間がかかる。
第三に、改修を行うかどうかを決めるためには、地震リスクは正確に把握できないにしても、少なくとも改修工事の費用ぐらいは把握できていなければならない。しかし、費用を把握するにはまずその建築物が本当に危ないのかどうかについて建築士等の専門家に依頼して耐震診断を行ってもらわなければならない。さらに、耐震性が不足しているということが分かっても、どれくらいの工事費用がかかるのかは補強計画を作成して工事費用の見積もり額を積算してみないと分からない。これらの額は建築物の古さや状態、規模によって全然変わってくるので、個別の建築物で実際に調べてみないと分からない。さらに、事業用建築物であれば改修中の営業利益の低下等の機会費用を把握するため、工事がどれくらいの期間続くのかを知る必要があるが、これも補強計画を作成してみないと分からない。これらの診断や計画作成には当然かなりの額がかかってくくるし、それなりに時間もかかる。つまり、改修の意思決定に必要な情報を入手するコストがそもそも非常に高いというわけである。

このように、耐震改修の場面にそのままコースの定理を適用して当事者間で紛争を解決してもらおうと思っても、とてもそんなことは望めない状況にある。しかし、これらの条件の悪さを改善してやること程度であれば、実は政府がやればあまり手間をかけずに実現できる可能性がある。なぜなら、政府の持つ最大の武器は、ルールを作る権利を持っており、その知見も相当に集積しているからである。