第6章 制度設計の考え方

そこで、これらの条件の悪さを1個1個、まるでオセロの駒をひっくり返していくような形で制度設計を考えてみよう。

まず最初に、権利設定の問題であるが、これは周辺住民に対して何らかの請求権を与えてやればいいのではないかという考えが出てくる。

しかし、単純に権利を付与するだけでは、あまりに強すぎる権利になって今度は所有者の財産権を侵害しかねない。いわばゴネ得の問題が発生してしまう。

そこで、そのような権利行使ができる要件を付加することで、権利のバランスを適正化し、ゴネ得を抑制する必要があるのだが、この問題は「1対多数の交渉」という取引費用の問題と一緒に考えると効率的である。

つまり、危ない建築物の周辺地域(例えば、建物の高さに応じて、倒壊可能性のある円を地域上に描き、その円の内部を「周辺地域」と考える)に住んでいれば、数人で集まって組合を作れる権利を認めようという提案である。この組合を「耐震改修請求組合」と呼ぶことにする。

このような組合を作れば、所有者に対して改修の請求をする権利を使ってもよいということにすれば、①無制限に権利が乱用されることを回避できるのでゴネ得の問題を解消できる、②交渉当事者の範囲を一定の地域内の住民に限定することで交渉当事者数の限定・明確化を図る、③さらに、多数側である周辺住民を一つの法人格にまとめあげることで、交渉形態が「1対多数」から「1対1」に変換され。「1対多」であったときの交渉費用が一気に軽減されることになる。
ただし、このままではフリーライダーの問題が発生しかねない。「誰かが組合を作ってくれるのであれば、交渉で耐震改修がされて、自分は何の費用もかけずに生活の危険を解消してもらえるかもしれない。」周辺地域の全員がこういう風に考えた瞬間に、組合は誰も設立しなくなる。本当に地域の問題として耐震改修の実施を考えるのであれば全員が意思決定に関わってきちんと応分の負担をさせないと意味がない。したがって、ここから、組合の設立発起がされて一定の手続要件を満たす場合は、周辺地域内の住民は強制的にこの組合に参加させる必要がある。

しかし今度は強制参加となると意欲が減退するのが人の常である。そこで、問題の当初に立ち返り、「あなたの家のそばにある建物、すごい古くて危ない可能性がありますよ!」という情報を提供することで自分の生活の安全が脅かされているという意識を惹起させなければならない。その方法として、最終的には耐震診断の実施までこぎつける必要があるのだが、それを財政出動で政府が全部賄えるだけの余裕は現実的にはない。

したがって、周辺住民の意識に訴えかける方法として政府に可能なのは、少なくともその建築物がいつ建築されたのかを特定して、現行基準の施行以前に建てられたものかどうかを明示してやることだろう。これであれば政府も自主的に特定することが可能である。なぜなら、登記簿に記載された建築物であれば建築年月日が記載されており、これは閲覧可能な情報になっているほか、市町村や都道府県の建築行政部局には建築確認申請時の資料が一定程度残っているはずである。こうした情報を使って「この建物は古いので耐震診断をして耐震性を判定した方がいいですよ!」というマーキング・システムを実施することが可能だろう。それをここでは「診断請求対象建築物の指定」と呼ぶことにする。これは周辺住民の意識喚起策であるが、コースの定理の条件としては、情報の入手コストの削減策に該当する。つまり、どの建築物が危ない可能性があるのかについて政府が自分の保有している資料に基づいて体系的に情報発信することで当事者の費用負担の軽減を図ろうという考え方である。

そして、建築物の指定がされれば、前述の考え方に従って「周辺地域」が自動的に設定されることになるので、その地域内の住民の間で組合が設立された場合には、まず耐震診断をやってくれという請求権を持たせておかないと、実際に耐震性が有るのか無うびじゃについての情報入手にたどりつかない。

問題は、この請求に対して所有者は必ず応じなければならないこととするか否かである。一見応諾義務を課さないと意味がないと思われるが、仮にそうした場合、結果的には政府が昭和56年以前の建築物の所有者に対して一律に耐震診断の実施を直接義務付けることと何ら代わりがないことになる。しかし、そのような義務付けを実施できるだけの財政的な裏づけが政府にはないこと、また、今回の提案の趣旨からすれば、そうした情報を得るかどうかについても当事者間で自主的に決定させるほうが結局社会的には効率的であり、過度な義務付けは社会的な死加重を発生させてかえって実効性が低下する可能性があるということを考えると、診断請求に対する応諾義務を措置することはおそらく適切ではない。
ただ、そうはいっても、なるべく診断を行う方へ誘導する必要があることには変わりがない。そこで、診断請求に応ずるという風に意思決定をすれば、政府に対して耐震診断のプロを無料で派遣してくれという要求をすることができる権利を与えればよいのではないか。この方法であれば、現在実施している任意の耐震診断費用に対する補助制度と変わらないし、現在の診断補助制度は改修補助と違って制度利用件数が非常に多いことから、所有者は請求に応じる可能性が高いと考えられる。

ただし、耐震診断のプロといっても、建築士が誰でも構造に詳しいというわけではないので、診断業務の質を確保し、かつ、診断費用に対する財政負担の的確性を維持するために、一定の要件を満たす建築士を行政で登録し、その登録を受けた建築士の中から要請に応じて診断の派遣をするという方法が適切だろう。これは、誰に診断を依頼するのがいいのか分からないという、耐震診断市場における情報の非対称性を行政の関与によって解消する制度でもある。

このような登録建築士の診断の結果、耐震性が十分あるということになればそこで話は終わりで、診断請求建築物の指定は解除され、速やかに組合も解散することになる。

しかし問題は、耐震性がないという結果が出た場合である。ここからが、当事者間交渉のスタートになる。考え方としては、やはり耐震性がない=すなわち改修の義務づけ、あるいは改修の請求に対する応諾義務、という方法は採用できないだろう。あくまで当事者の意思を尊重する形で制度を設計する必要がある。
したがって、耐震性がない場合、組合は耐震改修の実施の請求を所有者に対して行使できることとするが、その権利の中身は「耐震改修その他の措置の実施についての協議を行うことを求めること」として構成することが適切である。ここで言う「その他の措置」については後述するが、要は当事者間の協議次第では、改修以外の補償措置で負の外部性の解消を図る余地を与えておこうという考え方によるものである。
つまり、請求権の内容は改修を実施しろということではなく、改修も含めた様々な解決策について、交渉を行いましょうという申し入れの権利ということになる。このため、どういう形で交渉を妥結するかは当事者の意思に委ねられているので、この請求権に対する応諾義務を所有者に対して課すことは許容範囲内であると考えられる。したがって、改修請求権が行使された場合、所有者は協議に応じなければならないこととする。
ただ、交渉を実際に進めるに当たっては、意見の食い違い等でなかなか円滑に進まないことが容易に予想されることから、中立的なアンパイアとして交渉の舵取りのための適切な情報提供をする主体が必要だろう。そこで、必要があると認める場合には、所有者・組合は、政府に対して技術的な指導助言をしてくれと依頼できる権利を与え、政府はそれに応ずる義務を有するという形の制度を付置しておくことが望ましい。具体的には、建築部局に対して、補強計画や工事の資金計画の適切性、構造設計に優れた建築士の優先的紹介等を求める権利として構成することになる。

このような協議の結果、協議結果が定まって交渉が成立した場合には、当然ながら所有者・組合は当該結果に従う義務を有するものである。この点を明確にするため、この義務を規定しておく。その上で、合意内容について認識のズレがあとで生じて争いになるのを未然に回避するため、合意内容を文書に落とし込んで相互に交付する義務を設定しなければならないだろう。さらに、今後どういう形で事態が処理されるのかを把握するため、当事者間の相互交付と同じタイミングで当該文書の写しを政府に送付しなければならないこととする。

そして、ようやく措置の実施に至るわけであるが、前述のように措置内容には幅を持たせることが今回の制度案のキーポイントである。「耐震改修その他の措置の実施」の具体的な例は以下の通りである。
耐震診断の結果によっては、耐震改修を行うほどではないと所有者が考えているのに対し、周辺住民はできればやってもらいたいと考えている場合には、改修費用の一部を住民が拠出し合って改修を実施させるという合意が成立するかもしれない。
また、診断の結果、所有者自身、周辺に及ぼす将来の被害を考えれば、全額自己負担で改修を行うという結論に到達できるかもしれない。
さらに、何も現行基準に適合させなくても、少し耐震性を引き上げればいいのではないかという話になれば、費用負担の問題はさらに緩和され、合意に達しやすくなる。
逆に、現行基準以上の耐震性が住民の希望値だった場合、追加的に要する費用は住民負担としつつ、基礎的な部分の費用を所有者負担とするという形で両者の納得が行く可能性もある。
これらの措置とは別に、そろそろ除却も考えているので改修を行うのはあまり適切でないが、すぐにでも地震が起こるかもしれないことを踏まえ、改修を行わない代わりに将来の損害費用の一定割合を補償金の形で先払いすることで周辺住民の理解を得るという形で問題が解決する場合もありえるだろう。
このように、本制度案は多用な交渉結果の実現を保証することによって、個々の事例ごとに最適な結果を当事者が自らの意思で選択していくことを可能にするシステムとして捉えることができるものであるが、少なくとも協議で必ず論点になると思われる点は次の4点に絞られるため、協議結果を記載した書面には最低限これらの事項を盛り込んだ形で記載しなければらないこととしても問題はないだろう。
①耐震改修をの実施の有無
②改修を行う場合、
 ・具体的な補強計画の内容
 ・補強の実施に係る費用負担者
  (共同出資の場合は負担割合)
③改修を行わない場合、代替措置の内容
④措置の実施時期と費用の支払い方法・時期

いずれにしても、協議の結果で決まった措置を行った場合には、行った当事者から他方当事者へその旨を通知するとともに、政府へもその旨を報告するという手続きへ進むことになる。
なお、仮に耐震改修を行うという選択がされた場合には補強計画の内容について政府の審査を受けておく必要があるが、現行基準を下回るレベルへの引き上げ改修を行う場合もあるので、計画の適法性の審査という形にはならない。したがって、制度的には、計画内容を政府へ通知し、同意を得るという形で構成するのが適当だろう。
また、改修工事を行いやすくするため、耐震性の基準以外の基準が仮に既存不適格状態になっていても、現行基準への適合は要求しないという遡及適用の解除も講じておく必要がある。このような手法は、現行の耐震改修促進法でも採用されているところである。

措置を実施した旨の報告を受けた政府は、交渉成立時に受けた競技結果の内容と照らし合わせて、本当にその措置が交渉結果通りのものかどうかについて確認をする。
もし疑問を感じたら、当事者に対して報告を求めた上で、必要があれば指導、勧告をすることもできることとする。場合によっては、措置の実施時で当事者間で微細な合意内容の変更をした可能性もあるため、このような緩やかなチェック体制として構成するべきだろう。

措置と交渉結果の一致が確認できれば、その建築物が生んでいる外部不経済は効率的に解消されたことになるため、もはや診断請求対象建築物の指定は不要になる。むしろ指定が解除されなければ、いつまでの診断請求の対象になってしまって制度的に完結しないことになる。
したがって、確認をした場合は、政府は当該指定を解除しなければならない。すでに外部性の問題が解決された建築物であることを示すためのマーキング・システムがあるとさらによいだろう。
いずれにしても、指定が解除されれば、もはや組合の存続理由はなくなるため、解散しなければならない。解散手続きを定めることによって、組合内部の権利関係を清算したのち、一連の手続きは終了を迎えるということになる。