成功と失敗

法改正作業が本格化して以来、俺一人で抱えきれなくなったり、そこまで難解ではないので1年生に練習用にやってもらったほうがいいような案件を、2つほどやってもらう機会があった。

俺はまだ2年生で部下もおらんので、今まで1年生に何か緻密な作業を頼んで上がってきた成果物をチェックして、また、やり直させて、ということをやったことがなかったので、とりあえず自分なりに「こういう風に発注したらやりやすいかな」というのを考えてやってみた。

限られた時間内で俺とこの1年生の2人で最大限のパフォーマンスを示すには、普通こういうチーム内の仕事の依頼は口頭でするもんだが、俺も発注の初心者だし、向こうもこんな初心者にモノを頼まれても不安だろうということで、作業の目的がぶれることのないよう、以下のようなポイントを記載した依頼ペーパーを渡してお願いした。

①作業のテーマ
・簡潔に一文で示した。


②期限と作業の優先順位


③趣旨
・なぜこういう作業を頼んでいるのか。
・現在の法改正作業の全体の中で、どういう位置づけで、作業の成果が何に使われるのか


④作業の内容
・調査対象の範囲はどこからどこまでか(俺のところに性能発注が来たときはここが曖昧だったので、ここだけ俺のほうで先に具体化。これで作業が格段に楽になる。)
・その範囲からどういう要素をピックアップしてくるか
・ピックアップした要素を、どういう形で整理し、どういうアウトプットを作成するか


⑤その他
・作業中に困ったことがあったら悩む前にすぐ相談してくれて構わない旨。

この結果、実にめんどくさい作業であったにも関わらず、俺が期待していた以上の素晴らしく出来のいい調査結果が成果として上がってきた。

あとは、不足部分や間違っている部分について修正指示を何回か出して、ようやくこれでOKというところまでこぎつける。


ここまではよかった。目標の時間内に終わったし、作業結果が物語る結論もかなりいい線を行っている。


しかし、この先で俺が失敗した。


1年生に作ってもらった資料をもとに、元発注をしてきた上司に説明するときに、確かに時間があまりなかったとはいえ、作業をしてくれた彼女を脇に座らせずにやってしまったのである。

彼女が時間を費やし苦労して結論を出した作業結果が、どのように使われていくのかをその場で見せてあげれなかった。

ほかの単純な案件なら、わざわざ自分の作業結果がどう使われているかなんて当然彼女も気にしないだろうが、今回の案件はそれなりに混み入っていて、作業の結果次第では政策立案の説明の仕方自体が変わるようなものであった。

にも関わらず、当の作成責任者を俺はその場に立ち会わせることについて完全に忘れていた。

組織の指導者にとって、重要なのは組織のマネジメントだ。去年、ラグビーの平尾監督のチーム・マネジメントの話を聴く貴重な機会があったが、そのときも彼は「監督にとって一番大事なのは、選手が出した成果についてしっかり誉めてやることなんですわ」と言っていた。

たぶん、誉めるだけなら誰でもできる。

でも彼が言いたかったのは、そんな形式的なことではなくて、おそらく選手に対して「お前はここまでのことをやった。そして、その成果がチームにこういう形でプラスになっている」という、成果がベネフィットを生み出すその過程を見せてあげることが一番大事だ、と言いたかったのではないか。

こういう意味で言えば、俺は彼女にきちんと文書で作業をしてくれたことについて感謝の意は述べはしたものの、彼女の作業がもっとも生かされる瞬間に立ち合わせてあげることができなかった。

こう思うのは、もし自分がこの1年生の立場だったら、今回の一連の作業全体について、どう感じただろうかと考えてみたからだ。

たぶん作業自体は不必要なくらい丁寧に指示を出しておいたので、やりやすかったはずだ。しかし、最後の肝心の部分でこの彼女は「あれ?何か物足りないな。」という印象を持ってしまったのではないか。

今回のことくらいならまだ小さい話だからきっと向こうもそんなに気にしていないだろうし、むしろ俺が気にしすぎなのかもしれない。

しかし、今後しばらくは彼女にいろいろ作業をお願いしなければならないことが多くなるし、さらにもっと広い意味で考えれば、これから俺らが年次を重ねて部下を何人も抱えるリーダー的立場になっていくにつれて、ますますこういう「リーダーとしての最低限の配慮」がきちんと出来ているかどうかが問われることになってくる。


絶対にリーダーとして忘れてはいけないのは、部下が出した成果がどう生かされているのかをきちんとその部下に見せてあげること。

簡単なようでいて、一連の流れの中の最後の最後の部分なだけに、抜かりが生じやすく、そして、部下のやる気を継続させられるかどうかがそこにかかっているという、実は非常に重要でセンシティブな局面なのである。このことを肝に銘じるべきである。