アカウンタビリティからユーティリティへ

いろんな制度や政策を調べてると非常にいらいらする。「で、結局これは誰が使えて、そのひとにどんないいことがあるのさ」と小一時間問い詰めたくなる。

政府の失敗が叫ばれるようになって以来、とかく「アカウンタビリティ(説明責任)」なるものが重視されている。情報公開法が出来てからますますその傾向は強まった。

それ自体は非常に良いことだし、行政のあるべき方向として望ましい。国民の税金を使って政策を打ち出す以上(ある意味で信託投資を受けてるようなもんだ)、その政策が国民にとってどんな意味を持つのかをきちんと説明することは重要である。

ところが、近年の風潮は「説明責任さえ果たせばよい」というような方向に流れているんじゃないかというのが俺の少なからぬ問題意識である。ただ説明をして、政策の必要性を繰り返し訴える、それでいい、と。しかし、それは違うだろう。そもそもアカウンタビリティとは最近になって学者が言い出した問題ではなく、クライアントの信頼を受けて行動をとる以上必然的に求められる責任なのであって、行政の本来的な責任である。「きちんと説明して納得してもらう」というのは当たり前の話であってそれをわざわざ「アカウンタビリティを果たす!」などとおおげさに言うほどのものではないのである。

俺は問題はもっとその先にあると思う。それは、アカウンタビリティではなくユーティリティ(利便性、使い勝手の良さ)を最大限実現することだ。これは単に今後の行政が分権化していく中で、システムの移行に伴い簡素化を図っていく必要がある、ということだけに留まらない。むしろ行政のあるべき姿として、行政にとってのお客様である国民が何を求めているのか、それは自分の困っていることを解決しやすい便利なルートが用意されていることに他ならない。そのときに似たような制度がいくつもあったり、適用要件が複雑だったり、担当窓口が違ったり、それがためにたらいまわしにされたり、結局調べまわったあげくどれが自分にとって最も使いやすく、かつ効果のある制度なのか、さっぱり分からないといった事態が往々にして生じるわけである。

この点に非常に憤りを覚える。お前ら誰を見て仕事してるんだ、と。

しかしながら、仮にユーティリティの大部分が制度のわかりやすさ、簡潔性にあるのだとしたら、そこから「不公平」という困難な問題も副作用的に派生するだろう。

税制などはその典型である。税制というのは、公平性・中立性・簡素性の3原則を満たすことが望ましいとされているが、この簡素性と公平性自体がすでに背反的な関係にある。

所得税を例にとって考えてみよう。最も簡素な課税方法は、あらゆる所得者に対し一律の税額を課すことだ。

しかしそれではあまりに不公平すぎるので、担税力(その人がどれだけ税を負担する能力があるか)を考慮して所得水準に応じた課税体系が必要になる。そうするとまず思いつくのが、所得に正比例して税額を上げていく(=一律の税率を課す)という方法だ。

だが、一口に担税力と言っても、100万円の所得者が10万円の税を負担するのと、1000万円の者が100万円を負担するのとでは負担感が違うという議論がある。こうした担税力の複雑性に配慮して設けられたのが、現在多くの国で採用されている累進課税方式である。これは所得水準に応じて段階的に税率を上げていくという方式である。例えば、100万円までの所得に対しては5%、500万円までの所得に対しては10%、それ以上は15%という具合に課税する。高額所得者ほど持ってかれる税も大きくなるという仕組みであり、所得再分配機能が強く働くシステムである。

しかしこれも単純に適用していると、500万円の所得者と501万円の所得者ではあまりに税負担に差が出てしまう。500万円で抑えていれば50万の税負担で済んだのに、1万円所得が増えてしまったばかりに税負担が75万円になったのでは本末転倒である。

そこで、仮に所得が501万円であれば、500万円までは10%にして、500万円を超過した1万円の部分についてのみ15%の税を課すという方式をとれば、税率の変わり目で大損をする人が出てきにくくなる。この方式は超過累進課税方式と呼ばれ、現在の日本の所得税の体系で採用されている考え方である。

という風に、我々にとって最も身近な国税のひとつである所得税ひとつとってみても、公平性を追求するうちにどんどん制度が複雑になっていく過程が容易に見て取れるだろう。いわんや他の制度をや。

ユーティリティの問題は常に公平性の問題とセットで考えねばならないところにジレンマがある。単純であり使いやすければ使いやすいほど、政策上の細かい配慮が薄まり、条件の異なるひとびとの間に不公平感を生み出してしまいかねない。かといって、細かい配慮をつきつめていくと、制度が複雑化の一途をたどるだけで、結局使い勝手は非常に悪くなる。

これから先の職業生活の中でこの難問に答えが見出せるか分からないが、ライフワークとして取り組んでいきたいと思う。その時立つべき視座はただひとつ、「俺ならこの制度を使いたいと思うかどうか、友達にも胸はって利用をおすすめできるかどうか」、それしかない。