年金
マキコに続いて閣僚3人が保険料未払いだったとかでまたもめとるね。
「法案提出者のうち3人も年金払ってへんのに、それでいて国民に負担増を押し付けるんやから、そら結構な話やんけ」みたいな感じでM主党から批判の声が出ている模様。
相変わらず不祥事がいろいろ発覚してるし、ワケが分からん。
さらに「厚生年金と国民年金で2100年度までに給付する3070兆円のうち、現行の保険料水準では賄えない不足分が約480兆円になる」なんてことも、KR省が衆院KR委員会に提出した給付と財源のバランスシートから明らかになった。
俺は年金制度の数理モデルとか社会に与える波及効果とか、経済的な知識はまーったく持ち合わせてないし、自分なりの将来の年金制度像を持ってないので偉そうなことは何一ついえないんだけど、どうしてこの制度がここまでいびつなものになってしまったのか、デザイン的に言えば「めっちゃださい」ことになってるのは何でやろうくらいの疑問は持ってます。
原因は何やろね。
①年金制度のつくり方のパターンとして積立方式と賦課方式があるが、日本では後者を採用し、世代間扶養を根本思想として制度を維持してきた。
戦後の右肩上がりの成長期はこれでまかなってこれたが、バブル崩壊にともない貨幣・金融価値の下落、所得の低下などが生じる一方、少子高齢化という空前の現象がたたみかけてきて、現役世代にのしかかる負担割合が増大した。
②それによって未納者が増えたため、そもそもの財源が確保できなくなってきた
(国民年金の保険料の未納率は4割近い。)
③スキャンダラス過ぎるためにワイドショーでのネタくらいにしかされてないけど、徴収された保険料の運用のあり方自体に大きな問題があった。うちの高校の30キロマラソン大会で毎年使ってるGリーンPアM木とか(←伏字の効果全くなしー)、公的年金の資金を活用して作られた福祉施設が全国にいっぱいあるんだが、どこも経営的に厳しい。また、社会保険庁などKR省内部での資金流用(豪華なマンションとか)も取り沙汰されている。・・・などなど、資金運用面での弊害が次第に明るみに。
データの裏づけしてないから空論やけど、メディアで騒がれてる議論ってこんな感じか?
んで政府案は財源確保を目指して
・ 保険料率を徐々にアップさせて一定割合で固定する。
(サラリーマンが加入する厚生年金の場合は現在の13.58%から2017年の18.30%まであげていってそこで固定)
・ 国庫負担率を現行の3分の1から2分の1に引き上げる
(つまり、年金のための増税)
・ 給付水準は、現役世代の平均モデル的所得水準の50%に下げる(今は59.3%)
↑これは少子高齢化による労働力人口の減少と年金受給者の増大を受けたもの。
※冒頭に示した将来給付不足分480兆円は、こういった財源拡大策によって賄うとしている。
で、さらに政府は未納率問題対策として、ついに強制徴収にも乗り出した。
さて、すごい雑に年金問題の現状を書いてみたんですが、
ここから見えてくる年金のあり方ってどんなもんなんでしょう。
そもそも、年金って何で払わないといけないわけ?
何でマキコにあんな偉そうな口調で言われないとあかんの?
○閣の構成員が未納してるくせにナメんな!
とか、そういう疑問は当然あると思います。
だって、自分が払った分がそのままそっくり返ってくるんじゃなくて、自分が払った分はそのとき生きてるじーさんばーさんの手元に行くわけなのに。
未納者の言い分のひとつとして、
「何で自分と関係ない人の生活を支えないとあかんねん」
てのがあると思うが、しごくもっともだとも思う。
政府的な考え方では、年金の必要性は
「国民1人ひとりが安心して老後の人生を送れるようにするには、社会全体が下支えしなければならない」
ところにある。
で、大きな社会変動がいつどの程度の規模で起こるかは予測がつかない以上、国民一人ひとりが自分のリスクにおいて老後の安定した資産を長期的に形成していくのは極めてむずかしいから、
みんなから一括してお金を集め、投資など運用によって資金力を高め、物価スライド方式でその時の物価に合わせた給付ができるという公的年金制度を利用してもらうのが一番でっせ、と。
でもな、だとしたら、年金の本質はやはりボランタリーなところにあるようにも思える。
自発的に払ってこそ意味のある社会保障制度であり、強制徴収をしてまで制度の維持にこだわるならば、それは制度の趣旨から大きく外れているのかもしれない。
俺の中高でも長年インド募金というのをやってます、毎月。
マン・フォー・アザーズの育成を第一目的に掲げるうちの学校はほんとおせっかいな学校なので、インドのハンセン氏病患者が更正を目指す施設に集まった募金を送金してます。
(今もやってんのかな)
んで一旦募金を始めてしかもある程度継続してやてきたもんだから、向こうさんも募金をし悦運営財源のアテにするようになるのも仕方のない話。
ところが当の学校では、社会奉仕委員という委員が各クラスごとに昼休みに弁当食ってる間にみんなから募金してもらうという体制になっていて、募金が集まらないと向こうさんに顔が立たないもんだから、
しまいには募金額の目標値みたいなのをたてはじめ、各クラスの平均値に満たない募金額を出したクラスは悪者扱いされたり、募金の集め方が半ば強制的になってきたり
およそ募金とは言えない実態が、俺のいた間に浮上してたように思う。
委員「今日お金持ってきた?」
俺「わり、今日全然金持ってへんわ。またにして」
委員「じゃあ明日持ってきてな」
というバカバカしいやりとりを何度繰り返しただろう…
払いたいときに払うのが募金なんじゃないの?
強制徴収された金を受け取って本気で喜ぶ人なんて、どこにいるの?
(やっぱいるのかな汗)
別にここでうちの学校のことを糾弾するつもりはないし、インドのそういう社会的弱者っていまだにものすごい差別を受けてるから誰かが補助していかないとどんどん社会から隔絶されていってしまうし。
とくにハンセン氏病患者への差別はすごい。日本でも去年?おととし?ハンセン氏病関連の判決が出て、政府が腹くくって「遺憾ですが、控訴しません」「んで損失補償します」とかそんな話があったよな。
だから、学校が目指す理念てのは崇高で俺も間違いではないと思ってるんだが、
いかんせんその理念を実現する手段そのものが目的化してしまって、システムとしてものすごいいびつになってきていた。
(手段の自己目的化ってやつね)
以上で述べた問題は、おそらく年金制度の問題とパラレルに考えることができると思う。
いったん制度ができあがってそこに利害関係者が発生すると、当初制度が目指していた理念から少しずつズレていく。
そして制度そのものの存続が目的となってしまって、そのために採用される手段が常識から考えるととてもおかしなものへとなっていってしまう。
年金の抱える問題をあまりに一般化しててこの議論の妥当性は極めて低いんですが、これからの人生や老後の保障を確保するうえで、民間の確定拠出型年金にしろ公的年金制度にしろ、何らかの形で資金をプールしていくシステムは必要でしょう。
しかし、そのシステムは必要な人にだけコミットしていればいいわけで、全員を巻き込む必要はなく、「そんなのいらん、老後は勝手に何とかなる」という人の考え方もそれはそれでアリなはずです。
んで補足的に言うと、あとで損するのはその人の責任ですが、そのときに国が何がしかの社会保障をするかどうかはまた別の政策問題であって、金払ってこなかったら自業自得&政府による保障は必要なし!というのは福祉国家的には行き過ぎた考え方だと思う。
まぁそんな給付財源が日本にあるかと言われると苦しいところだけど。