継続と変化 −あれから1年経って−

ここで正しい戦争はあるのかとか、あの戦争は合理的だったかとか、イラクの現状はどうだとか、国連はどうすべきだとかごちゃごちゃ言う気はないが、少なくともひとつ確実に言えることは、

21世紀の国際関係の枠組みの方向性が大きく揺さぶられている

ということ。




冷戦終結以後、多極化構造になったとか、流動化が進んだとか、いろいろ言われていたが、21世紀に入り、9・11を境に明らかに世界の構造は変動しつつあるように思う。

冷戦後の安全保障の枠組みの試金石となったのが湾岸戦争だった。そこでは、確かにアメリカの軍事力に頼らなければ紛争を解決できないという脆弱さが露呈したものの、かといってアメリカが単独主義的な行動に走ることはなかった。(このことは、湾岸戦争までの45年間で670ちょっとしかでてこなかった安保理決議が、その後の20年で850近く出されていることに端的に現れている)

ここで、アメリカに力点を置いた国連中心の安全保障体制が生まれたかに見えたが、その後のユーゴ内戦やコソボ危機、パレスチナ問題の展開を通してアメリカと世界の関係は多くの可能性を孕みながら流動していたように思う。(この辺はよく分からない)




この流れの方向性を決定付けたのが、ブッシュ政権の登場と9・11の勃発だろう。
この政権の性格についてはさまざまな意見があるが、ひとつは教条主義的な政策が前面に出されるようになったことだろう。他民族多文化主義が背後にあったはずのアメリカにおいて、キリスト教的な思想に裏付けられた保守的な政策が打ち出されるようになった。また外交においてもネオコンと呼ばれる人々の発言力が高まった。

その中で9・11が発生したことは大きな意味がある。
9・11の前後で世界は変わったかと聞かれれば、アメリカの積極的な対外政策が国民の支持を容易に得られる状況が生まれたという点では変化があったと答える。(とある先生からの受け売りやけど)



こうした状況を受けて、9・11を契機に発生した2つの論理は、対テロ戦争と民主主義の輸出。

対テロ戦争というのは、これまでの国家間戦争を前提とした国際関係のあり方からすれば異質である。テロとの戦いは冷戦期もあったが、国際的テロリズムと世界という対立の図式が共有されるようになったのはやはり9・11以後である。(その筆頭に立っているのがアルカイダ

一方、テロの温床については貧困が原因だとかナショナリズムの問題だとか、解決の道がなかなか見出せない状況にあった。しかし9・11を契機に、テロは内国の問題ではなく国際社会の脅威を構成するとの認識が生まれた結果、テロの解決方法として民主化の輸出が有効な手段だという主張が強まった。ようするに民主主義国化すれば、アメリカやヨーロッパに歯向かうような政治体制は生まれないだろうという考え方だと思う。こうした考えの背景にはM.ウォルツァーやB.ラセットらが展開した「民主国家間の平和」という議論があるのかもしれない(が、その辺はよく分からない)




こうした2つの論理が現実の国際関係において実践されたのが、21世紀に入って立て続けに起こったアフガン戦争とイラク戦争だと思う。

アフガンにおいてはアルカイダの撲滅とそれを擁護する政権の打倒が、イラクにおいては大量破壊兵器の脅威・テロリズムの温床の排除が、それぞれ大義名分として掲げられた。

大義名分それ自体は、おそらく誰も問題視しないだろう。
ビンラディン大量破壊兵器も発見されていない現在、盛んに議論されているのは、その大義名分が果たして存在したのかどうか、あるいはそれを肯定できても戦争という手段に出たことは合理的だったかどうかという点だろう。



しかしもう少し大局的な問題として、冷戦後曲がりなりにも国際連合を中心とした対外政策を展開してきたアメリカの軍事力が、いまや何のタガもはめられることなく行使できる状況に来ているということを考える必要があるように思う。

これはアメリカの単独行動主義が悪いとかそういう議論ではない。むしろ、ある国が単独で行動することの方が本来的には普通であって、他国との協調が重視されるようになったのは近代以降、もしくは複合的相互依存の状況が現実化しつつある現代になってからである。



問題の本質は、いざとなれば世界のどこにでも、十分に勝利を収められるだけの兵力を展開できる「力」に対して、世界が歯止めをかけられなくなっているという点にある。そしてその力が、国民に対して直接に責任を負う大統領を擁するアメリカという国に集中していることが、現在の特徴的な状況である。

冒頭で「21世紀の国際関係の枠組みの方向性が大きく揺さぶられている」と書いたのは、こういう理由からである。つまり、力の分布が不均衡な形、それも極めて不釣合いな形で生じ始めていると思う。



いま世界はこうした状況を前にして、そしてアフガン・イラク復興という現実の課題を前にして、どういう方向へ進んでいくべきかについて激しく揺れている。国連か米英かという議論はそのひとつの表れだろう。また、イラク戦争に際してその権威は地に落ちたといわれる国連の存在も、こうした状況の産物だろう。

対テロ戦争民主化の輸出という論理を原動力にしたアメリカの行動に対して世界が何もできないという国際関係のあり方は、決して望ましいとはいえない。かといって、現実の安全保障の問題を考えた場合、アメリカのパワーを抜きにして解決を探ることは不可能だろう。ひょっとしたらこれは「安全保障のジレンマ」の新しい局面、いわば21世紀的形態なのかもしれない。


という愚にもつかぬことをイラク戦争一周年を機にぼんやりと思いました。俺のねぼけた目を社会問題へ向けさせてくれたのは、間違いなく1年前の今日始まったイラク戦争でした。