モラルハザードと偽装事件

友達のブログに「モラルハザードという言葉の意味を取り違って使ってるやつが多い」ということが書いてあったので、そういや最近俺もここでこの単語使ったなと思い出す。

いま読み返してみてやっぱり間違った使い方はしてないみたいなので一安心w

※追記:うーん、しかしやっぱり間違ってる気が。。「行政の審査対象にならなければ」と書いた以上、セーフティネットがどこにもないんだから、設計者の悪質行為はモラルハザードとは呼べないよな。それから、↓の一連の文章も、「モラルハザード」が本来もっと淡々とした現象を指す用語(保険かけとくとリスク発生率がかえって高まること)であることを考えると、だいぶ色の付いた書き方になっていて、不適切な部分が多い。特に下のほうの「情報の非対称」のくだりは実に怪しい。まぁええかw。

保険・金融用語としての「モラルハザード

金融においてモラルハザードとは、特融や預金保険といったセーフティネットの存在により、金融機関の経営者、株主や預金者等が、経営や資産運用等における自己規律を失うことをいいます。例えば、金融機関経営上のモラルハザードとしては、公的資金による救済をあてにして、経営陣や株主が「最終的には金融当局が救済してくれるだろう」と考え、信用供与や資産の運用方法に慎重さを欠いた経営を行うといったことが考えられます。

はてなキーワードより>

経済学では「Principal-Agent」問題と呼ばれるもので、いわば一方が相手にまかせっきりになってしまって責任の主客に関する当事者の認識が倒錯した状態になることを指す。


この問題は、建築設計の場面においても発生する問題で、建築主(個人、宅建業者)、設計者(建築士)、確認検査機関(建築主事・指定確認検査機関)、施工業者(建設業者)、融資機関(銀行等)の、主に5者相互間で複雑に絡み合ってモラルハザードが生じうる。

特に、先の耐震偽装問題では、建築設計の高度複雑化を背景として、設計者と確認検査機関が、それぞれの責任の主客を取り違えているという「Dual Principal-Agent」問題とでも言うべき状況が発生していたのではないかと俺は勝手に思っている。


つまり、上の定義になぞらえて説明すると、
①設計者の側から見た場合
第一義的には、設計者が適法かつ安全で良質な建築物を設計する法的責任を負っているにも関わらず、建築主事や指定確認検査機関が法適合性のチェックを行う建築確認・検査制度というセーフティネットの存在により、設計において適法性を確保するという最低限の自己規律を失う状況が発生していた。そこで、一部の設計者においては、構造計算書を偽装し、それが審査機関に見つからなかったのをいいことに、業務として次々と違法行為を連続してしまった。

②確認検査機関の側から見た場合
第一義的には、違反建築物を建築計画の段階で発見して出現を未然に防止する法的責任を負っているにも関わらず、設計業務の独占権が与えられている建築士が、しかもコンピュータ・プログラムによって構造計算を行っているという観念上のセーフティネットの存在により(おっと俺強引だなw)、確認検査の段階で違反建築物の出現を防ぐという最低限の自己規律を失う状況が発生していた。このため、ブラックボックス化している構造計算の過程を無批判に受け入れてしまった審査機関は、構造計算書の偽装を見逃し、次々と違法建築物の出現を許してしまった。

このように、二重のモラルハザードが設計者・確認検査機関の間で生じていたのではないだろうか。この関係は、おそらく上に挙げた5者それぞれの間で網の目のように発生している。


こういう重層的に責任関係が交錯しているフィールドにおいて、適法性の確保と秩序の再構築を何とかして図ろうというのが、昨年末から行われている一連の建築関係制度の見直しである(と俺は勝手に思っている)。

しかし、現在までに考案されてきた施策は、端的に言えば、この過密したフィールドにさらにプレーヤー(構造計算適合性判定機関、特定構造・設備建築士(現段階で仮称)、保険・供託等のリスク補填制度)を投入することによってチェック体制の強化と建築リスクの減殺を図ろうとするものであり、「関係者それぞれの責任の明確化を図る」と口では言いながら、その実は余計にモラルハザードを起こしやすい世界へと後押ししているだけなのではないかという危惧を個人的には抱いている。

つまり、本来検討すべきなのは、すでに過密したフィールドにプレーヤーを増やすのではなく、むしろ退場させる方策なのではないのか。一人ひとりを「背水の陣」状態に追い込むことによって、初めて各プレーヤーが自分の法的責任を全うしようとする方向へ行動し始めるのではないのかという考え方である。

しかし、現実には少なくとも上記の5者以上にプレーヤーを減らすことは困難であるし、建築設計における5者の役割を考えた場合、やはりそれぞれどうしても必要不可欠なメンバーであると考えられる。

そこで、プレーヤーは増加させないが、減少もさせることはできないという条件の下で次に検討すべき政策は、各プレーヤー間の利害関係をいかに分断するか、ということになってくると思う。

これがいわゆる「設計・施工の分離」「施工・販売の分離」などのテーマで知られる問題群である(ことに、今書きながら気づいた。なるほど。。)

大手のゼネコンでは、自社の中に設計部門・施工部門・工事監理部門を抱えていることから、建築士と建設業者が立場上一体化している場合が存在する。

この点がモラルハザードを生じさせている原因だ、という声は古くから存在し、先の通常国会で提出された民主党が対案として提示してきた建築士法改正案においても、建築士事務所の開設者を建築士のみに限定し、法人たるゼネコンが開設者となって自社内に建築士事務所を開くことができないようにする措置が提案されていた。

ただ、現実の面において、設計・施工一貫体制は、発注者の側からすると発注の手間が省エネ化されること、適正に行われる限りにおいては、設計者と施工者の意思疎通が迅速であり、適切な建築が行われることが期待できること、さらに、すでに自社内に建築士事務所を開設している法人が圧倒的多数存在し、偽装事件発覚から半年足らずで議論も尽くさぬうちにこのような措置を講ずるのはあまりに社会的影響が大きく、拙速であること等の理由から、国会審議の場においてこの民主党案は廃案となった。

いずれにしても、設計・施工一貫体制がメリットを有する一方で馴れ合いを生むというデメリットも有することから、利害関係をどのような形で分断していくかが政策立案における中心的課題として残ったことになる。

このように、ここでは設計と施工の関係を例に挙げたが、多数の者が複雑に関係しあう建築生産のフィールドにおいては、チェック体制よりも各プレーヤーが自己の負っている責任をいやがおうでも認識せざるを得ない環境を創出することこそが、最も重要であり、かつ、社会的に貢献できる政策なのではないかと考えられる。

これは他面で、建築主や住宅購入者である消費者に大しても自己責任の認識を要求する厳しい政策である。しかし、日本が旧態依然とした馴れ合い・談合社会を脱して、真の成熟社会へ本気で発展していこうという気が少しでもあるのであれば、行政の介入ができるだけ小さい形でそれぞれが自律的に行動していけるように制度の下準備を進めるのが行政に最後に与えられた役割ではないかと考えている。

ただ、実は、プレーヤーの関係が分断されていてもモラルハザードが生じてしまう局面がある。例えば行政の審査機関と建築主・設計者の関係は、資本的・人的な関係では概念上は完全に分断されているにもかかわらず、前述のような二重のモラルハザードが発生している。これは、プレーヤー間の利害関係を分断するだけでは解消しない「何か」が根底に潜んでいるからではないか。その一つには、建築設計というものがあまりに高度複雑化して、誰も全体像を正確に捉えきれない次元にまで到達してしまったという事実(あくまで俺の推測だが)があるのではないか。

さらに、モラルハザードの原因を情報の非対称性にあると考えた場合には、先日http://d.hatena.ne.jp/HE-BOY/20060812#p1で書いたような、建築物の消費者が持つ権利の束に関するトータルな情報があまりに不足している状況が問題であるとも考えられる。いくら法律で消費者保護に資するような消費者の権利を創設したり事業者の義務を追加しても、その存在を消費者が知らず、使われもしなければまさに絵に描いた餅である。逆に、営業に関わってくる事業者は消費者が持つ武器については熟知しているから、消費者の情報不足を逆手に取ってくる局面は多数想定できる。

このように、モラルハザードの問題は、プレーヤーの利害関係の分断だけでなく、フィールドにスコアボードと分かりやすいルールブックを持ち込む方向でも対策を検討していく必要があるのではないか。

・・・と、こうやって、社会が抱える現実の問題群を自分なりに発見・整理・再構成して、打開策を考えるプロセスが、サラリーのもらえる仕事として経験できるからこそ、行政官の仕事はほんまにおもしろいし、社会科学系の人間としてはこれ以上ハマれる職業はない。

が、残業だけはどうにかしてください・・・。