政治力、決断の速さ。

明日で無事俺が担当している法案が先議院を通過する見込みとなった。来週には後議院に議案が移送されることになる。

この1ヶ月、与野党の批判に答えつつ政府案のアピールポイントを説明する政府答弁書を作成させてもらったり、野党の対案が抱える政策的・法制的な問題点の分析に当たらせてもらったり、今までやったことのない新たな経験を随分させてもらった。

この答弁作成を中心とする国会審議対策のプロセスがこれまた霞ヶ関ちっくというか何というか、ものすごく面白いので、いろいろ言いたいんだけど、うー、うまく書けない。

※ここでいう「面白い」には不毛の意味も含まれる笑

ひとつだけはっきりいえるのは、国会審議というものは、答弁が政府の公式見解として正式に記録に残る(=あとで揚げ足取りの材料になりかねない)ために、極めて精緻なテクノクラートとしての能力が要求される一方で、議員がどういう問題意識で攻めてくるのか、何を求めているのかを的確に予想し、相手の様子を伺い、刷り合わせていくという戦略的な政治センスも同時に要求されるという、行政官にとっては緊張感あふれる過程である、ということ。

もちろん担当部局の人材を全力投入してことにあたるから、この2つの能力を誰もが完全に備えておく必要はないが、物事をチームでうまく進めていくためには、適材適所にそれぞれの能力を発揮できる人間を配置しておく必要がある、ということだ。

いま、うちの部局はただでさえ人手不足なので、軽やかに動き回って政治力を発揮してくれる人材の存在ほど頼もしいものはない。さいわいなことに、4月からうちの課にはうってつけの最強の中ボスが2人助っ人で来ていて、この方たちのおかげで苦しい国会審議も何とか無事に乗り切れそうな感じである。


ここまで書くと、行政府がどれほど国会の動向に意識を傾けているかがよく分かると思う。はっきり言って国会に踊らされている。しかし、実は逆もまた然りであって、政治と行政は持ちつ持たれつの関係にある。二大政党制がなく、そして議院内閣制である日本に、真の意味の「政治主導」という言葉が根付くのは、まだまだ先の話だろう。

最近、俺の頭の中では政治主導、二大政党制、議院内閣制という言葉が妙に絡み合っていて、これらの関係がガラッと変わるためには、つまり55年体制と行政官庁の肥大化の残滓を払拭するには、日本に有力な政策シンクタンクが育つことが必須条件ではないかと思い始めている。そのためには政策情報の偏在の解消が欠かせないが、行政の内部から見ている限り、そういう条件が成立するのが遠い未来に思えてくる。