政治力学

しかしボスたちを見てると、どうしてこんな厳しいプレッシャーの中で平然としてられるのか全く分からない。俺ら平社員レベルは言われたことをほいほいっとやってりゃいいのではっきり言って気は楽なもんだ。でもたぶんボス方は俺の見てないところでもっとプレッシャーを感じてるだろうに、全然そんなそぶりを見せない。なんちゅー精神力だろうか。感情的(≠感情豊か)な俺にはとてもあーゆー曲芸はできん。


中ボスレベルになると、上からかなりハードルの高い要求を実現してこいと言われて、それを自分の中で咀嚼して現実的なライン・交渉のカードに使う高めのライン・絶対譲れないライン、ラインが崩された場合の別のラインの切り方に分けて、交渉の最前線に出て行って、取れるところは取って、やべーと思ったらとりあえず引き下がって、思った通りにはすんなりいかないから次々いろんな案を思いついては立ち消え、また思いついては立ち消え、ようやくこれなら行けると思ったら、いきなり思わぬところから今での苦労を泡にしたいのかというような要望が来たりして…

もちろん、各方面の交渉の相手方にもそれは言える。向こうは向こうで同じような苦しみの中で交渉の路線を決めてきてるのだからそれなりに妥当な言い分があって、たぶんこっちも向こうもどっちもどっちも正しい。政策論の中で極限的な領域になるとあとは価値判断にしかならない。今週は特にそういう事の顛末を目の当たりにしたもんだからなおさらそう思う。


政策の世界だけに見られる特徴かどうかは分からないが、フィールドに転がってる欲望だとか利益だとかがものすごい多いという多元性は事実だと思う。自分ではこれが正しいと思っていても、他の人にしてみればとんでもない!ということがあちこちで起こる。そういう価値の齟齬が起こりうる範囲が、マターによっては特定の者に限らず誰にでも、ということが往々にしてある。それを調整しない限り絶対前に進めないのがこの世界のややこしいところであり、一方でユニラテラルな価値観の出現を防ぐ内在的な均衡システムにもなっている。
もちろん、そのシステムの機能の仕方は国の統治機構が基づく理念の違いによっても随分と差があるのだろうが、要は、色んな意見がもみくちゃにならなければ、どうしても見えてこない論点というのがあるということ。みんなが同じ方向むいてりゃそら話は簡単だが、そんな世界は絶対気持ち悪い。中身が詰まってないままなぁなぁで過ごす世界だとも言えるだろう。

こんなわけの分からん状況の中でも、中ボスたちは着実に一つ一つ課題をこなしていっている。その結果が、果たして誰の目にも正しいものかどうかは俺には断言できない。たぶんある人にとってはよくやった!という部分もあるし、別の人から見れば絶対こんなのおかしいと思う部分もあるだろう。それでもやらなければならない、という原動力が生まれる源は、まさにその課題が社会的であり公共性が高いからであり、また場合によっては人の生命や財産の安全保障に関わる究極的な問題だからでもある。


数年後の俺にあんな人間ワザとはとても思えないことができるとは到底思えない。でもこーゆーのが交渉ってことなのかな。まーいいところも悪いところも含めて、ゆっくり勉強させてもらいましょう。


しかし不思議なのは、行政って別に営利主体じゃないから、カードを切るもくそもねーんじゃねーのかということ。カードを持ってる(=自分の利益だと思ってる)なんておこがましくて、ほんとは、きっとどっかに現実的な落としどころがあって、そこに辿りつくまでにみんなでよってたかってあーだこーだ言い合ってるだけなのかもしれない。誰か一方が1人勝ちして高い利益点を奪取するというようなサッカーゴール型のフィールドじゃないのかもしれない。そうではなくて、限りなく広いフィールドのどこかに隠しポイントがあって、それを全員でうろうろ探し回ってる過程なのかもしれない。でも、やっぱりそれぞれが抱えてる欲望や利益は多元的で、金に換算できるよーなもんじゃないから、わけがわからなくなってるだけなのかもしれない。別に営利企業だって営利性だけで行動するわけではなく、実に単純な場合「相手に嫌われたくない」という感情的な動機が行動を規定することもあるわけで、社会って何て複雑で読み取りにくい代物なんだろうとつくづく思う。