正夢

フジフィルムのDVDのCMは、随分前からスピッツの「正夢」を使っている。サッカー選手など各界のスターが自分のこれまでや夢を語り、その想いを形に残したい、みたいなスピーチをし終わったところで、それまでBGMで静かに流れていた「正夢」のサビが一気に大音量になってインサートされる構成になっている。このCMは俺の好きなCMの一つで、たまらなく気持ちが熱くなる。

で、問題は音の使い方だ。この「正夢」を原曲で聴いてみたいと思って、「スーベニア」を借りてきたわけだが、原曲で聞くと、CMで受けた印象ほどの気持ちを高揚させる何かが感じられない(パソコンのショボいスピーカーで聴いたせいもあるだろうが)。サビの前後で音がぺタッとしている感じだ(意味分からんな)。

それはもちろん、CMに歌を挿入するときに、スピーチが流れている間は音量を押さえ、終わったところから音量を上げるように設定しているからに決まっているのだが、要はたったそれだけの「操作」で作品の印象というのは大きく違うということだ。

「見せ方」ひとつで、コンシューマーの受け止め方は大きく変わる。

芸能界でプロデューサーという存在が幅を利かせている理由の一つはこれだろう。彼らは「見せ方」のプロなのだ。売り出したい商品を、どういうスタイルで、どういうタイミングで、どういう分量で(小出しにするかか、一気にガツンとにするか)といった基本的な戦略から、俺には思いもよらぬ応用編まで、彼らはやってのける。

結局、大量消費社会の中では、作品とはそれのみで成立しにくい形式にますますなってしまっている。日々無尽蔵に生み出される大量の情報群の中にあってキラリと光るように「見せつけ」、受けての「注意を引く」技術のサポートがなければあっという間に埋もれてしまう。他との差別化あるいは突拍子もない個性の具備というのが一つの方法なのかもしれないし、徹底的に流行りに迎合するというのも一つの方法かもしれない。いずれにしても・・・

あれ。話は何だっけ。あぁ、スピッツの「正夢」だったな。CMで「あ!これいい!」と思っても、CDで聴いてみると「あれ?」ということはみんなもしょっちゅうあるでしょ、ということを言いたかったんだわ。

で、ついでに言えば、作品ってのはその基本形を壊さない形でいじるともっともっと面白くなる可能性がある、ということも言える。同じ作品でも、それを舞台版にしたり、映画にしたり、本にしたり、テレビドラマにしたりと、メディアを変えてみるというのも、作品を面白くするための「いじり」手法の一つだ。音楽をリミックスしたり、他の曲と融合させてみたり、ジャンルを変えてみたり。


ジャンルを変えるといえば、前から気になってるアルバムに去年の今頃出た「Mosh Pit On Disney」というのがある。これ↓。


http://www.avexnet.or.jp/moshpitondisney/

ディズニーのおなじみの曲を、国内外のアーティストにファンクやらロックやらパンクやらにいじってもらってミッキーと一緒にモッシュしちゃいましょうという趣旨の24曲入りアルバム。これの22曲目をYSIGがやってるというので注目してたんだが、CCCDなのでレンタルはする気にならん。YSIG以外にもAcidmanthe band apart、the Vandals、ブライアン・セッツァーやらが参加してて実におもろげです。
上のリンク先から視聴する限り、リトルマーメイドの曲ですらYSIG節が炸裂してるようで、かなり楽しげな一枚です。


何かよく分からんくなってきたが、ネタは同じでも外側の形をいろいろいじってみると全然違う印象を与えるものに変えられることがある、という結論でおやすみ。何て平凡な結論。