昨日の日記も書いてあるのでよかったら読んでね。長いけど。

いまふと思い出したので書き留めておこう。ちょうど長谷川が映画ネタを板でふってくれたことだし。


spnが以前「映画を見る」ことの意味を

1.スクリーンで見る
2.途中で途切れることなく一気に見る
3.全くの他人がすぐ近くで一緒の内容を見てる(同じところで笑ったりする)

と書いていた。(spn板【2004/07/03 02:09:47】参照)本人は「勝手に引用するな!汗」と言いそうだがまぁ許せ。

仮にこの定義が正しいとすると、最近の俺の行為は全くもって「映画を見る」ことと同義ではないことになる。ちょっと詳しく見てみると

1.今年60〜70本ほど映画を見たが、スクリーンで見たのは確か4〜5本。9割以上はブラウン管を通して見たものである。
2.DVDで見ていると、音声がたまに吹き替え設定になったままスタートしてしまうことがあって、オープニングからつまづかざるを得ないことがある。また、一時停止できるから途中でトイレに立つこともたまにある。
3.最近は完全に自分の趣味で選択した映画を見る機会が多いので、一人で見る回数がおのずと増えた。

がびーん。spnの言う「映画を見る」行為を実現するには、①気合入った映画ファンよろしく足しげく映画館に通うか、もしくは②友達をたくさん呼んで完全に閉めきったホームシアターでしめやかに上映会を行うかのどちらかの方法しかない。いずれにしても金のかかることなので貧乏人の俺には非現実的な選択肢である。

やはり家でDVDというのが現在の俺に一番しっくり来る方法のようだ。
しかし、1と3は映画にとって重要な要素であることは間違いない。

3.についてはそもそも映画というのは「大衆娯楽」としての性格を与えられた公共財であって、現実の一局面を切り取ることで(それがフィクションであれノンフィクションであれ)、人々の共感を誘うという作用を営むことが求められている以上、本来ならそれ抜きで映画を語るべきではない要素である。昔の寅さん映画なんか最後にみんなすすり泣きしてスタンディングオべーションになったことがある、なんて話も聞いた。こないだの「ハウルの動く城」もしかりだったが、昔「パッチ・アダムス」('98)を見に行ったときは映画館にいたひとの笑いが完全にシンクロしていてとても楽しい一時だったことを覚えている。

そして1.は、R甲の「私は偉大だ」先生・N藤の言葉を思い出させる。
「私は映画を3回観る。一度目は普通に話の筋を追うように見る。2回目は画面を見る。そして3回目は、画面の隅々まで、前回見落としたものを探すようにみる。監督は作品として画像を提示している以上、画面の細部にわたるまで趣向を凝らしているはずである。そこを私はあますところなく楽しみたい」
当時映画なぞにとんと興味のなかった俺にはこの言葉は単なるマニアじじいの戯言にしか聞こえなかったが、この年になってようやく理解できる気がしてきた。映画は所詮21型程度の、しかも3:4のサイズに収まりきるようなものではないのである。小さな額縁におさまる絵と、でかいキャンバスいっぱいに描かれた絵とでは、あるいは正方形に近い形の絵と横長の絵とでは全く意味が違うのである。


とは言いつつやっぱり圧倒的に足りない鑑賞量を補填するにはDVDとブラウン管にお世話になるしかないのである。しょぼーん。