生活のクオリティ

俺はスケジュール帳使わないひとやけど、やっぱスケジュールがびっしり埋まってるのがいいと、心のどこかで思っている。
たぶんネットの性格検査とかでそういう質問があったらちょっと「はい」を押すかためらって、やっぱ「いいえ」にしとこう、みたいな感じ。

でもスローライフという言葉が定着してひさしいけど、
のほほーんとどこかの島で暮らすのもいいとも思っちゃう。

しかし島や田舎で楽しむスローライフとは、別に「暇」と同義ではないだろう。
俺の考えるスローライフとは、単に細かい時間の区切りにしばられるのではないけ黷ヌも、日々の生活を継続するうえでやらなければならない課題を自分できちんと決めていく生活のこと。

こないだテレビで北海道の林のなかにすむ「仙人」のことをやてたけど、この人は電気もガスも水道もこない、未開の地に、1人で(=野生の動物と一緒に)暮らしている。
そういう生活をひとはスローライフと呼ぶのかもしれないが、
別に彼は暇ではない。朝5時に起きて、起床後の日課をこなし、朝飯を作り、昼は食材を手に入れるため、近所の畑のお手伝いをし、夕方は薪割りと風呂の火起こしを行い、夜は自室で古いワープロに向かって小説を書き・・・

最近よく考えるのは生活の質とは何か、ということ。

俺にとって中高の生活の質はバスケと勉強とその他の活動(何ちゃら委員会とか)が全部両立できることであって、この3年半での生活の質とは、いかに自分のやりたいことを楽しみ、様々な友達と関わり、楽しい思い出を残せたかだった。
でもほんとにそれだけでいいんだろうかとも思う。もっと自分にしかできないことってあるだろう、と。

生活の質をヨコから支えるものとして、俺は住宅や内装、服飾にすごい興味を持ったんだけど、やっぱりそれは物質的なものであって、人間のこころを直接支えるものとはなりえない。