反論

いま、ある映画レビューの某有名サイトを読んでいたら、『マイビッグファットウェディング』の邦訳タイトルについて俺のレビューとまったく逆のことが書いてあった。

原題は「MY BIG FAT GREEK WEDDING(わたしの どえりゃあ ごっつぅ ギリシア式 結婚式)」 「ギリシア式」ってとこがポイントなんだから邦題から省略したらダメじゃん…と、観るまでは思ってたのだ。でも、そうじゃないんだ。この映画がアメリカであれだけヒットしたのは、これが「ギリシア移民の一家のお話」だからじゃない。どのような民族的出自を持つ人が観ても「ああ、これは自分たちの家族の話だ」と思えるだけの普遍性があったからだ(おれがワーナー映画の宣伝部長だったら「マイ・ビッグ・ファット・ファミリー・ウェディング」と付けるね)

これ読んで一瞬あぁそうか、と思ったが、やっぱり違う。

この映画の面白さは、ひとつには確かに「家族の普遍性」という視聴者と登場人物の共通点にあるが、しかしやはり「ギリシャからの移民」という特殊な設定こそがコメディとしてのエッセンスを支える重要な要素なんだ、と思う。もし普通のアメリカ人の家族に置き換えてみたら、単なる『フルハウス』の焼き直しでしかない。ギリシャが「あらゆる西洋的なものの歴史的根源」であることを信じてやまない、というような自信に満ちたギリシャ移民たちのキャラクター(と引っ込み思案な主人公の性格のギャップ)こそがこの映画のおもしろさを生み出す源なんじゃないのか。

だからやっぱり邦題に「GREEK」の訳を入れなかったのはマズいんじゃないのかなーと思うのよね。


これ読んで意味分からないひとも多いかもですが、まぁこの映画観てみてよ、損はないから。元気になれるよ。