帝国

4/7水付朝日新聞13面の、ジョセフ・ナイのコラムを読んで。

今回の記事で彼は、アメリカを「帝国」と呼ぶことのもたらす誤謬みたいなものを指摘。

記事の冒頭にもあるように、帝国概念は昔から存在するもので、何も目新しいものではない。

藤原帰一は『デモクラシーの帝国』の中で

「帝国という言葉は、およそ4つの意味、すなわち強大な軍事国家、多民族を支配する国家、海外に植民地領土を保有する国家、そして世界経済における支配的勢力、という意味で用いられてきた」

としており、最初の3つの意味の帝国の例として、ローマ帝国、ハプスブルグ帝国、大英帝国を挙げている。


そして残る最後の意味、経済的意味での帝国が現代における帝国概念の問題。


戦後の帝国主義衰退の中で人気のなくなっていた「帝国」という言葉に再び注目が集まったのは、冷戦期のアメリカの経済的覇権状況やグローバリゼーションの到来を前にしてのことだった。

最近ではネグリ&ハートの『帝国』なんてのが有名。


論者によって帝国概念の意味はさまざまで、藤原は「アメリカ=帝国」としてしまうことに慎重な姿勢を示しながらも現代の倒錯した権力状況を論じているが、
ナイもまたこうした認識がもたらす誤謬の可能性を危惧しているようである。それは、

「問題は、米国の支配力の幻想を実像のように仕立ててしまい、それが米国議会とブッシュ政権を単独行動主義にさらに引き込んでしまうことだ」

という主張に現れていると言える。

つまり、確かにアメリカは軍事でも経済でも強大なパワーを持ってはいるし、世界全体に対するプレゼンスやインパクトの大きさは過去に類をみないが、他国の内政を支配するパワーという意味では大英帝国には到底およばない。ここからも分かるように、アメリカを帝国と呼ぶことで惹起される過去の帝国イメージと、現実のアメリカが有するパワーの間に齟齬が生まれているというのである。

そして彼がどうやらもっとも危惧しているのは、こうした外部からのアメリカ「帝国」批判ではなく、アメリカが世界の帝国であるかのように感じている米国人の存在のようだ。その例としてマイケル・ブーツなどのネオコンを挙げ、「『帝国』の推進者」としている。

ナイの議論に従えば、アメリカ内外の認識がもたらす誤謬が、アメリカの外交政策のゆがみをもたらしているとも結論づけられそうである。


何にしても、現在のアメリカという国のあり方を何らかの言葉でカテゴライズすることは重要ではないと俺は思う。「帝国」と呼ぶのは、現在のアメリカを表現するのにそれ以上に適切な言葉を発見するのがいまのところ困難だからであろう。ナイが言うように、むしろそういうカテゴライズこそが一人歩きしてしまって幻想を生んでしまう。ものを形容すればその形容が勝手に肥大化していってしまったという経験は、誰しもあるだろう。

良くも悪くもアメリカの動向が我々の生活のあり方・生活の安全に関わっているというのは、否定しえない事実だろう。そのアメリカという複雑なのか単純なのかも分からない国をどう理解していくかは、「同盟国」ニッポンに生きる俺たちにとって重要な課題なのかもしれない。


それにしても、NYにエンパイアと名の付く有名な摩天楼がそびえているのは実に皮肉やね。




最後まで読んでみて、ジョセフ・ナイって誰や?という人も多いかもですが、国際政治の世界では相当有名なおっさんです。

ソフト・パワーという概念を打ち出したことでも有名。
元国務次官補代理、現ハーバードの教授。
官界と学界を行き来する人ってアメリカには多いけど、この人はまさにその代名詞みたいな感じ。


どうでもいいけどこのコラム、「毎月第1月曜日に掲載」とあるけど、今月から?それとも前からあった??誰か教えて。