記者の目:改正建築基準法、「悪法」ではない=高橋昌紀(社会部)

ある意味で、この事件は、今の日本の市場と政府の態度を浮き彫りにしたような気がする。

毎日新聞 2008年2月20日 東京朝刊
◇ピアチェックで現場を知る−−国交省幹部の自省促す

 全国で昨年の年間新設住宅着工戸数が、40年ぶりに110万戸を割った。月間の着工戸数が、改正建築基準法が施行された昨年6月以降、6カ月連続で前年比マイナスとなったことが大きな要因だ。結果、同年の国内総生産(GDP)の住宅投資部門で、前期比9・5%減を記録した。

 こうした数字を背景に、改正建築基準法に対する風当たりが強い。所管トップの冬柴鉄三国土交通相でさえも、昨年12月7日に東京都内での業界関係者との意見交換会で、「悪法と言われる改正建築基準法」と自嘲(じちょう)気味にあいさつしたほどだ。だが、改正建築基準法は本当に「悪法」なのか。

 改正法は、05年に発覚した姉歯秀次・元1級建築士による耐震偽装事件後に、国民の不安を解消する切り札として施行された。

 目玉は、構造計算適合性判定員(適判員)による点検制度(ピアチェック)の導入で、冬柴国交相も施行時の記者会見で、「これで再発を防止できる」と胸を張った制度だ。

 ピアチェックは、大学教授や試験に合格した1級建築士らによる適判員が、高さ20メートルを超える鉄筋コンクリート建物などの建築確認の際、構造計算書の耐震性を独自に点検する。自治体や民間の確認検査機関による検査を、ダブルチェック体制にし計算書の偽造などを防ぐ試みだ。

 ところが、建築市場は改正法の施行前後で、国交省幹部が「予想もしなかった」と振り返る反応を示す。

 昨年6月の新設住宅着工戸数は12・1万戸で、対前年同月比6・0%増加した。それが、施行後の7月は8・1万戸で同23・4%減と、施行を境にして一気にプラスからマイナスに転じたのだ。

 増加の原因には、改正法施行前に住宅を造ろうという「駆け込み需要」があった。当時から、業界には「法が厳しすぎる」との声がまん延していた。

 しかし、私はそれにくみしない。そもそも、姉歯事件の発覚で求められたのは法の厳格化だ。住宅の安全が脅かされる事態に対応するための改正を「厳しすぎる」と言えば元も子もない。昨年10月に耐震偽装が発覚した埼玉県八潮市の遠藤孝・1級建築士毎日新聞の取材に、「複雑な建物で構造計算が難しかった」「改正法施行前に申請するため改ざんした」と打ち明けている。裏を返せば、ピアチェック制度があれば、改ざんを防げたということだ。

 それでは、なぜ改正後に着工戸数が減ったのか。業界関係者は「現場での改正法の解釈がばらばらだった」と分析する。ピアチェックの運用基準が明確でなかったため、耐震性能とは関係のない設計変更や、単純な誤字・脱字などであっても、適判員によっては構造計算書の再提出を求めたりしたことが着工の遅れを招いたというわけだ。

 もちろん、国交省もただ手をこまねいていたわけではない。改正前には業界に対する講習会の実施、改正後も関係機関に相談窓口を設置した。それでも事態が改善しないとみれば、省令改正や通知を出し、構造計算書の再提出を必要としない設計変更やピアチェックを簡略化できる建築物を具体的に示し、運用基準を明確化した。

 とはいえ、一連の経緯を振り返ると、「現場を知らない霞が関」の体質が浮き彫りになってくる。

 大手不動産会社の幹部も「駆け込み需要があったということは、業界は既に不安を持っていたということだ。気付かなかったのは役人ばかりだ」と憤る。実効性を持たせるための国交省の対応は後手に回った、との印象を抱かざるをえない。

 幸い、12月の着工戸数は前年同月比マイナスとはいえ、減少幅は19・2%となり、これまでより縮小した。泥縄式とはいえ、現場の実情を踏まえた対策が功を奏してきた感もある。

 もちろん、楽観は時期尚早で、不安要素はまだ多い。例えば、適判員約1900人のうち、実際に実務に就いているのは約1000人で、その多くは建築士業との兼職とみられる。着工に向けた建築確認申請が増えるにつれ、ピアチェックに遅れが出るかもしれないとの懸念はある。

 しかし、耐震偽装というかつてない事件によって生まれた改正建築基準法は、実は予想もしない効果を生んでいると私はみる。

 ある国交省住宅局の若手幹部は言った。「悪いのは建築基準法ではなく国交省だ。非難されるのは仕方がない。過ちは過ちとして受け入れ、役立てなければならない」。現場から教訓を学び、法を現場で生かす。国交省の、今後の手腕を注視したい。