[雑記]意思決定のプロセス

この数日で政府の意思決定の遅さにはほとほと辟易した。

省内でのわりと低い職階レベルでの意思決定はものすごい早いのに、自分の組織や他の組織の上層部との最終的な詰めの段階に来たとたんに、上層部の個人的な趣味からの注文が錯綜して全く進まなくなる。


あるお偉いさん①「AをBに直せ」

その一つ上のお偉いさん②「BをCに直せ」

そこで、もう一度1審差戻し。

我々「②氏がこういうので、AはCに直すことと致したい」

①氏「なに!私はBじゃないとおかしいと思う。②を説得してこい!」


・・・


・・・


官僚の仕事を説明するときに「…の調整」という言葉がよく使われるが、その具体的な意味とはだいたい上記のようなやりとりに振り回されることを指しているのが実情だろう。もちろん、調整業務を行う機関の力関係によっては振り回されるというより自分が振り回せるくらいのこともあるが、上層部の意向の調整という場面ではイコール「板ばさみ」だと思って間違いない。

こういう問題が発生する理由は至極単純である。あらゆる案件について「下のレベルで案件内容をきちんと詰めてから順々に上層部に上げていく」という意思決定システムがかなり厳格にとられているからである。これは政府の法案審査機関には特に当てはまるので、以下はこの機関を念頭に置いて記述する。

通常の案件であれば、国民全体の生活に関わることもあるので、正確性と妥当性を時間をかけて吟味する上でこの意思決定システムは行政実務に適合的な方法だと思うが、緊急時の意思決定にも杓子定規に適用してしまうと、調整に時間がかかり過ぎて設定された期限までに案件を処理できないおそれが出てくるのである。

なぜ、緊急時の案件について、上層部が一同に会して論点に係る迅速な見解の一致を図ろうとしないのだろうか。意思決定の最終責任を負う者こそ、手続的な問題で時間を空費してしまうのを避け、実質的な議論に割く時間を確保できるよう、提案者に配慮してやるべきなのではないだろうか。

緊急案件を一同会議で決すというシステムがなかなか実現しない陰には、上層部の「ポスト」に関わる偏屈なプライドがあるという実にくだらない事実が邪魔している一方、一度そういう案件処理方法の例を作ってしまうと、今後いかなる案件に対しその方法を適用するのかの線引きがものすごく難しくなるということ、さらに、決裁権限の責任が分散してしまいかねないということといった実務的な問題があるのかもしれない。

しかしどれも緊急案件の早急な処理をないがしろにしてまで守るべき価値だとは到底思えない。


もしかしたら俺が若造だからなぜこういうシステムにしているかの真の意味を理解できてないだけなのかもしれない。しかしとてもそれだけでは説明のつかない、不合理さをこのシステムには感じます。

※このシステムの細かいところをもっと書くと「え!」とみんなが驚愕するようなくーだらない事務作業が山ほどあるのですが、あまり自分の業界のバカバカしいところばかり披露しても情けなくなるのでやめときます。何より、ここを読んだ公務員志望者が萎えそうだから…。