午後、親父と妹と東京下町散歩へ。寅さんゆかりの柴又は帝釈天と、両さんゆかりの亀有は亀有公園を見てきた。俺一人じゃ絶対行かないだろうし、家族以外の誰かを無理に連れて行くわけにも行かないこの散歩コースをやっと実現できたのは俺にとっては結構ラッキーだった。うちはみんな寅さんも両さんも好きなんでね。

柴又はほんとに下町であり、田舎だった。昼間から酔っ払って紅潮した顔の労働者風のおっさんが酒酔い自転車運転のかどで警官に職質を受けている光景を見て、それは確信に変わった。帝釈天前の参道にはなぜか寅さんの実家「くるまや」のロケ地になったことを主張する茶屋が4軒もあったのはおかしかった。一番信用できそうなのが、1作目から4作目まで実際に撮影現場だったという「とらや」。今でこそ寅さんの実家の名前は「くるまや」だという認識が一般的だが、実は1作目から4作目までは寅さんという名にちなんで「とらや」だった。ところが5作目を作る前に現実に「とらや」ができてしまったもんだから何食わぬ顔で「くるまや」に変えたらしい(寅さんの本名はは車寅次郎)

寅さん記念館へ寄ったついでに江戸川の土手まで足を伸ばしてみた。金八先生に出てくる、まさにあんな感じの土手だった(金八の土手も江戸川なの??)。空が広い、ということの素晴らしさを改めて感じる。だって俺の部屋からはビルとビルの隙間の、平行四辺形の小さな小さな空しか見えないから。

帝釈天の参道はほんとに寅さんでもってるエリアだった。渥美清が死んでもうだいぶ経つ。この参道の将来はどうなるのだろう。

柴又駅から金町駅周りで常磐線亀有駅で下車してみる。柴又のイメージのまま下車したので、相当に都会化した駅前の光景を見て少々面食らう。駅の北側に亀有公園があった。が、両さんの「りょ」の字も見当たらない。寅さん依存の柴又と数キロしか離れてないのにこの違い(まぁ映画と漫画じゃ当たり前の差かw)。本屋にも寄ってみたがこち亀の扱いは他のエリアの本屋とさして変わらない。まぁ当たり前の話である。

しかしその本屋に「両さんと歩く下町散歩」という新書が置いてあった。秋本治が書いたものである。それによると、この亀有も昔は駅前に10円の激安すし屋があったり、亀有名画座という由緒ある映画館があったりと、下町情緒あふれる土地だったらしい。それがここ10数年で一気に再開発が進み、先に述べたような状況へと急速に変貌と遂げていったという記述があった。

古きよきものと、新しきよきものの峻別は俺にはまだできない。



夜はVAクリパ兼忘年会。案の定男性陣は余裕で遅刻、ぐつとさおりが先に店で待っているという意味不明な状況。待たせてすまん。「渋谷集合の40分前にバイトが終わったから、余裕で間に合うだろうと踏んで神田で整体してき」て、1時間遅刻してきたしばの感覚は常軌を逸しているがあいつらしいのでOKだw。

家に帰る途中のR太郎改めQ太郎を急遽電話で呼び出し無理やり飲みに参加させ、なんだかんだで朝まで突っ走る。突っ走った先に俺のインフォバーは消えてなくなっていた。南無。まぁこれくらいの痛みを受けながらも飲み続けるバカさがVA飲みには必要なのであり、Q太郎は見事にその基準をクリアしているわけである。

そういえばちょっとした事件ありき。渋谷の改札前で立ち話をしていたら、ちんくりの背中をとんとんと叩くおなごが一人。「ねぇねぇ、サンタさーん、それちょーらい☆」と言って彼女はちんくりのかぶっていたQ太郎プレゼンツのサンタ帽を奪って、仲間のもとへ走り去っていた。あの女は一体なんだったんだろう。もちろん奪い返したけど。逆ナンうらやましいな、サンタ栗ース!