座頭市

('03日本、監督:北野武、主演;ビートたけし浅野忠信ほか)

さて、おそらく多くの人が(昨日のテレビで)見ただろう映画について俺ごときが何かを言うのはかなり勇気がいる。

しかも、映画館ではなくテレビなので、俺が見たのは、テレビ局の編集で切り刻まれた「無難な『座頭市』」、ということになる。

くちなわの頭の目を斬ったあとのセリフとかなかったし。。

その範囲内でモノを言っていると思って読んで欲しい。


この映画は復讐劇であり、決闘の物語であり、姉弟の兄弟愛の物語であって、
おそらく日本の時代劇のテーマとして多用される要素はふんだんに盛り込まれているが、
この物語にはいっさい正当な政治権力を持つ人間(お殿さまとかお奉行さんとか)が一切出てこない点が特徴的である。

権力を持つものとして登場するのは町を牛耳る2つのやくざ一味であって
彼らは正当な権威をもつ存在ではない。
それに対抗しうる「剣力」を持つのも、2人の得体の知れぬ流れ者である。
そしてそれを取り巻くのは町や町外れに息づく市井のひとびとである。

つまり、徹底的に無名な存在だけがこの物語を支配している点が、
よく見かける時代劇ドラマなどと大きく異なる。



北野武がすでに昔から何度も映画化されてきたこの物語をあえて再び取り上げようと考えたのは、
この時代劇としては珍しい無名性が、時代劇をエンターテインメント的に描くための格好の条件だと直感したからではないだろうか?

つまり無名であるがゆえに様々な演出の趣向をほどこすことのできる土壌がある。
無意味な(そして現代的にシュールな)ギャグを連発させるのも、
鍬で耕す農民や家を建てる大工の動きをまるでストンプよろしくリズミカルに描いてみせたり、
実際の過去の日本の祭りではありえなかったようなタップダンスを持ち込んでみたりするのも
おそらくそれゆえであり、
また北野作品で常にクローズアップされる「痛みを伴う暴力」(HANA-BIやキッズリターンよりは幾分か穏やかに感じられたが)もまた、そのために映画の中で中心的位置を占めやすくなるのである。

んー俺はこう思ったけど、どうなんだろね。


あと、他のはてなダイアリー
「あと、槍を持って走り回ってるキチガイは、ダチョウの上島竜兵だと思いこんでいたのに、別人だったのに驚いた。」
と書いてあったが、俺もまったく同感でしたw