[ニュース]駐車違反と太閤検地の思わぬ関係

民間監視員、1日から活動 駐車違反取り締まり強化

 駐車違反取り締まりの民間委託などを柱とする改正道交法が1日施行され、県庁所在地や政令指定都市などで民間の駐車監視員が放置駐車違反の確認作業を始める。新制度は短時間の放置駐車違反も取り締まりの対象とするほか、ドライバーが出頭しない場合に車両の持ち主に放置違反金の納付を命じる仕組みも導入、取り締まりが強化された。
 制度が大きく変わり、現場などでトラブルが起こることも予想される。
 警察庁によると、民間委託を導入したのは全国の警察1219署のうち270署。委託契約を結んだ計74法人の駐車監視員約1600人が102市町と都内12区で、活動場所や時間を定めた警察のガイドラインに沿って2人以上1組で巡回する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060531-00000159-kyodo-soci

個人的には結構この法改正の行く先が気になってます。というのも、建築基準法でも、安全性に関わる行政事務を規制改革の流れに乗って民間開放したことが、実は逆効果となって今回の事件につながったんじゃないか、という議論がなかなか根強く残ってるから。

ここでいう「現場のトラブル」がどういうふうに解決されていくのか(違反シール貼られて「何で放置違反金払わなあかんねん!」とすごんでくる車の所有者を民間事業者がどう説得するのか等々)。警察庁ガイドラインを作って、事業に参入する民間企業に業務のやり方を指南しているようですが、事務件数が多いだけに問題もいろいろ頻発するんだろうな。。



それにしても、違反金徴収を、車に乗っていた人間だけでなく、車の所有者に対しても行えるという改正はおもしろい。車に乗っていた人間というのは逃げてしまえば誰か分からなくなって捕まえられなくなるから、一向に違反が抑止されない。しかし、車の所有者であれば、自動車登録から突き止めることができるので、違反金徴収の精度も向上する。

しかし、本来、違反金というのは、違反によって得る不当な利得に見合う金額を強制的に徴収することによって、違反行為の抑止を図る制度である。したがって、徴収対象も、不当利得を得ている人間、すなわち車を放置した運転手というふうに決まってくる。

これを、車の持ち主に変更するということは発想の転換である。車を他人に貸していただけなのに、貸した相手が置き逃げしたら、その分の責任は所有者が負うことになる、という考え方だ。貸した本人は不当利得は得ていないのに、である。

これは、おそらく法制的には、歯止めがかからない違反駐車による公共の利益の侵害が極めて大きいことから、自分が違法駐車していなくとも、所有者に対しては車の管理責任として放置に係る責任を負わせるのもやむを得ない、という利益考量の結果として説明されるのだろう。


しかし本音から言えば、金を取れるところから取る、という現実路線を選択したということにほかならない。


こういう政策の路線変更は、9世紀末から10世紀初頭の日本の租税システムの歴史においても見ることができる。


それまでの日本の租税システムは、租庸調に代表されるように、人頭税の性格を有していた。
(俺に言わせれば、担税能力は全く無視して人の存在自体を課税の根拠とする考え方であると思われるので、現代の民主主義とは到底相容れない租税システムだろう。)

しかし、税負担が重いことから、当然のごとく公民の浮浪・偽籍があいついだほか、8世紀ごろから進んでいた荘園形成に歯止めがかからなくなり、人頭税システムは機能不全に陥った。

そこで、時の朝廷は発想を転換し、人頭税から土地税へと税制のあり方を大きく転換したのである。つまり、逃げてしまう人から税を取るのは極めて困難なので、絶対動かぬ土地、そこから税を取れば確実だ、という考え方への変更である。

(しかし、すでに荘園化の時代の流れは決定的になっていたため、その後も税収確保は常に朝廷にとって悩ましい課題となった。そこで、朝廷自ら荘園形成を進めることで収入の安定を図った。結局、これが16世紀末の豊臣秀吉太閤検地に至るまで、日本の土地に係る権利関係を極めて複雑かつ重層的にしてしまった原因の一つであると思われる。)

このように、制度の前提を変えてでも、取れるところから金を取るという発想は結構ありがちなのである笑。