EMERALDO COWBOY


世界一不愉快な映画。大根役者どもが演じる、とあるおっさんのくーだらない自慢話になぜ2時間もつき合わされないかんのか。「南米」というだけで借りてきてしまった俺がバカだった。

しかしこの映画から学んだこともあった。

伝記モノというのは、本人が出てきた瞬間にロマンだけでなくリアリティすら瞬時にして損なうというパラドックスが紛れもなく存在する、ということだ。

同時に、伝記モノが面白いのは、それが伝聞体で語られるからこそ、語り手のバイアスがかかっているからこそ、そして誇張が少なからず入っているからこそなのである。事実はズレているかもしれないという「曖昧さ」を起点に聞き手は想像を膨らませ、偉人の成し遂げた冒険や業績に想いを馳せることができる。

実際の人間たちを登場させてリアリティを追求しようという試みは、事実を克明に描写すべきドキュメンタリーにこそ適切であっても、偉人伝を語るための方法としては極めて不適切である。

この映画が扱ったネタは、表現次第では死ぬほど面白くなりうる可能性がある。現代に圧倒的に欠けている「冒険心」を人びとの心に呼び覚ますのに十分な力を秘めたネタだと思う。

しかし料理の仕方がマズい。

①役者があまりに下手すぎて観るに耐えない、
②語り方として「ドラマ・ドキュメンタリー」という方法を選択したこと自体が不適切だった

ことに加え、もう1点指摘するとすれば、

③時系列に沿って語ろうとすることに拘泥するあまり、ひとつひとつのエピソードがきちんと語りつくされないまま、宙ぶらりんのまま次の話へ移っていってしまうという印象を強く受ける。偉人伝で重要なのは、全てを事実通りに語ることではなく、遭遇した事件がどのように主人公の人生を変え、また彼/彼女の考え方を変えたかということに焦点を当てることだ。2時間という枠に圧迫された製作現場の様子が伺えてしまう。


他人様のクリエーションをこきおろすのは簡単なことだが、じゃあ対案を示せといわれると困ってしまうのが俺の悪い癖である。だが、この作品を反面教師にして、表現方法の選択、語るべき事項の選別といった問題を自分の仕事にも生かしていきたいなどと大層なことを思った次第である。